明日は余白句会。兼題は「山」「船虫」「台風」と、あと何だっけ。大急ぎで作らなくては……。




2001ソスN8ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2482001

 歯痛に柚子当てて長征の夜と言いたし

                           原子公平

の「歯痛」は心細い。歯科医に診てもらうためには明日まで待たなければならないし、そのことを思うだけでも、痛みが増してくるようである。とりあえず、手元にあった冷たい「柚子(ゆず)」を頬に当ててみるが、ちょっと眠れそうにないほどの痛みになってきた。とにかく、このまま今夜は我慢するしかないだろう。そんなときに、人は今の自分の辛さよりももっと辛かったであろう人のことを脳裏に描き、「それに比べれば、たいしたことではない」と、自分を説得したがるもののようだ。で、作者の頭に浮かんだのが「長征(ちょうせい)」だった。「長征」とは1934年秋に、毛沢東率いる中国共産党が、国民党軍の包囲攻撃下で江西省瑞金の根拠地を放棄し、福建・広東・広西・貴州・雲南・四川などの各省を経て、翌年陝西省北部に到着するまで約1万2千5百キロにわたる大行軍をしたことを指す。なるほど、たしかにこの間の毛沢東らの艱難辛苦に比べれば、一夜の「歯痛」ごときは何でもないと思えてくる。しかし、そう思えてくるのは一瞬で、結局頼りになるのは毛沢東の軍隊ではなく、やはり手元のちっぽけな「柚子」一個でしかないのが、悲しくも可笑しい。「言いたし」に、泣き笑いの心情がよく出ている。「長征」を語れる人も少なくなってきた。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


August 2382001

 サーバーはきっと野茨風が立つ

                           坪内稔典

ソコンを扱う当サイトの読者ならば、おそらくは全員が「きっと」ではなく「キッ」となる句だろう。私も思わず「キッ」となった。最近ではワープロを詠んだ句こそ散見するが、国際的なHAIKUの世界はいざ知らず、俳句で「サーバー(server)」が詠まれたのは初めてではあるまいか。だから「キッ」なのである。で、「なになに、サーバーがどうしたって」と辿ってみると、「きっと野茨(のいばら)」なんだと書いてある。そこで自然の成り行きとして、両者がどのあたりで似ているのかを考えることになる。野茨は初夏に白い花を咲かせ、秋には赤い実をつける。いずれも可憐な印象だ。だが、蔓状の枝には鋭い無数の棘(とげ)が……。つまり、花や実のサービスを受けるためには、この入り組んだ棘を素早く辿り、しかも刺されないように用心して通らなければならない。「きっと」そういうイメージなんだろうなと、私は読んだ。パソコンを操るとは、日々この作業の連続とも言える。のほほんと構えていると、思わぬところで棘にやられてしまう。で、そんなサーバーとのやりとりに熱中し、ふと我に返ると表には「風が立」ち、季節は確実に一つ過ぎているのだった。厳密に言えば無季句だけれど、立つ「風」の気配は秋だろう。「秋風」の項に登録しておく。「俳句四季」(2001年7月号)所載。(清水哲男)

[うへえっ]この「サーバー」は、テニスなどのそれではないかとの反響多し。むろん考えました。だとすれば、可愛い顔して棘のあるサーブを打ってくる少女のイメージか。でも「風が立つ」がつき過ぎだと思い、以上に落ち着いた次第です。パソコン狂の妄想かもしれませんが、ま、いいや。この線で突っ張っておきます。MacOs9.2.1へのアップデータが登場しましたね。


August 2282001

 台風や四肢いきいきと雨合羽

                           草間時彦

風圏にある人たちは、たいていが身を寄せ合うようにして家の内に籠もる。が、防災のために完全武装の「雨合羽(あまがっぱ)」姿で川や崖を見回る男たちだけは別だ。むしろ、日頃よりも敏捷で活気があり「いきいき」として見える。火事場に向かう消防団の男らも同様で、それは災厄に立ち向かい、大切な人命を守るべしという使命感とプライドから来るものだろう。そして私などは、子供の頃に台風が来るたびに自然に血が騒いだ覚えがあるが、そういうことも彼らの身のうちでは起きていて、一種の無邪気な興奮状態がますます「四肢いきいき」とさせているのだと思う。皮肉というほどではないけれど、そんな人間の本性がちらりと介間見えるような句だ。また一方では磯貝碧蹄館に、こんな句もある。「台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽」。郵便配達だ。こちらもむろん「雨合羽」姿だろうが、少なくとも「いきいき」と、と詠める状態ではない。むしろ、配達夫の「四肢」は縮こまっているのだ。前者が猛威に立ち向かう攻めの姿勢なのに対して、後者は徹底した守りのそれだからだろう。別の言い方をすれば、雨合羽がいわば「衣装」である者と「普段着」である者との違いである。郵便配達のみなさま、そして防災に尽力されるみなさま、ご苦労様です。くれぐれも、お気をつけて。『中年』(1965)所収。(清水哲男)




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