VC句

August 2982001

 職名を明かさぬ友や蕎麦の花

                           新海あぐり

者は男性。俳号の「あぐり」は「Agriculture」から。農家の出だ。帰郷して辺りを散策していたら、古い友人にばったりと出会った。彼もまた、都会に出ていった一人だ。「やあ……」と久しぶりの邂逅に、立ち話となる。成り行きとして、いまどんな仕事をしているのかと問うと、話しを逸らされてしまった。言いたくないのだ。と、作者が気づいたときには、既に気まずい雰囲気となっている。所在なく遠くに目をやると、てんてんと白い「蕎麦の花」が咲いている。子供のころから見慣れた何でもない花なのだが、いつになく寂しい感じに見えたというのである。たいていの歳時記には「寂しげに見える花」と記述されているが、それは通行人の感覚であって、蕎麦を育てている地元の人々にとっては寂しいも何もない。句の眼目も、そこにあるのだろう。友人の不遇を感じて、はじめて「蕎麦の花」が寂しく見える花であることを知ったのだ。もう三十年以上も前、故郷を訪ねたときに、私もこの友人のほうと同じ立場だったことがある。「東京で、何しちょるんかね」と問われて、答えられなかった。話しを逸らした。会社が倒産したので無職だとは、とても言えなかった。『悲しみの庭』(2001)所収。(清水哲男)


November 17112001

 焚火爆ズ中ニ軍律読ミ上ゲシ

                           新海あぐり

語は「焚火(たきび)」で冬。いまはダイオキシンが何とやらで、焚火もままならない。イヤな世の中です。ところで、こういう句に私は弱い。いざ、出陣である。火は人の闘争心を掻きたてる。寒いからだけではなくて、ばんばんと火勢を強めることで士気が鼓舞される。だんだん、みんなの目がギラギラしてくる。そこでやおら首領格が、しずかに諭すように「軍律(ぐんりつ)」を読み上げる。戦闘に際しての心構えは簡単にすませ、後は戦いに無関係な者への配慮であるとか、裏切り者への対処法であるとかと、かつての中国赤軍もかくやと思わせるような「仁義」が諄々と説かれていくのだ。焚火が爆ぜてむせ返るのだが、寂として声無し。そのうちに、闘争心は次第に冷たくも逆上する青い炎のように変化していく。落ち着いてくる。「秩父困民党」に取材した連作の一句であるが、片仮名を使って(「軍律」表記に通じて)、見事に蹶起する直前の農民の雰囲気を写している。かつての私も、身をもって似たような場面にいたことがある。このことについて知る人は少ないと思っていたら、ずっと後になって、長崎浩が「日本読書新聞」に書いた「評価」を読むことになった。でも、焚火は暢気なほうがよいに決まっている。♪たき火だ たき火だ おちばたき。巽聖歌の詩のほうが、天と地ほどによいに決まっている。作曲者の渡辺茂は、娘が小学生のときの先生だった。お元気でしょうか。『悲しみの庭』(2001)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます