明日から所用で福井行き。無類の方向音痴ゆえ、はじめての土地でもかえって平気で(笑)歩ける。




2001ソスN8ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 3182001

 父に金遣りたる祭過ぎにけり

                           藤田湘子

ろそろ秋祭のシーズンだが、単に「祭」といえば夏祭を指す。古くは京都の葵祭(賀茂祭)だけを意味した。八月も、今日でお終い。この句は、過ぎゆく夏を振り返っての作だ。眼目はむろん、父親に小遣いを渡したことにあり、そういうことをしたのはこの夏が最初だったのだ。このとき、作者は五十代。やっと一人前になれたという感慨に加えて、気がついてみたら、作者自身の人生の盛り(夏祭)が過ぎ去っていたことへの哀惜の念も込められている。息子から「祭」の小遣いをもらう身になった父親も十分に老いたが、渡した側ももう決して若くはないのである。ところで、この「遣(や)りたる」という言葉遣いに抵抗を覚える読者もおられるだろう。父親は目上の人だから、「あげたる」ではないのかと……。我が子にも「お菓子をあげる」と言い、犬にまで「餌をあげる」と言うのが一般的なようだから、無理もない。昔は両方ともに「遣る」と言った。すなわち、身内同士の振る舞いを掲句のように他人に示す場合には、一歩へりくだるのが礼儀だったからである。謙譲語に対して謙遜語とでも言うべきか。これを「あげたる」とすると、他人に対してたとえば「ウチのお父さんが」と言うが如しで、気色が悪い。そう言えば、テレビを見ていると「ウチのお父さん」派も増えてきた。内と外との区別がない。それも、内側の言葉を外へと押し広げていくだけのことだから、常識ではこれを「わがまま」と言う。『春祭』(1982)所収。(清水哲男)


August 3082001

 ゆらゆらと回想のぼるまんじゅしゃげ

                           榊原風伯

に吹かれている「まんじゅしゃげ(曼珠沙華)」を、作者は眺めるともなく眺めていた。そのうちに、ぽつりぽつりと過去の出来事のあれこれが、思い出されてきた。だんだんと「ゆらゆらと」揺れる花そのものに、あたかも自分が変身でもしたかのように、次々に「回想」がのぼってくる。「回想のぼる」が、花の揺れと同化した感じをよく出していて面白い。花が栄養を根から茎へと吸い上げるように、作者の思い出も自然に頭に「のぼる」ということである。と言うからには、おそらく作者が立っているのは墓地であろう。死んでいった親しい人々をめぐっての「回想」なのだ。私の記憶でも、曼珠沙華は皇居の堀端に群生するヤツを除くと、多くは墓地に揺れている花であった。墓地に多いのは、土葬の時代にネズミや獣による死体荒らし対策だったというのが通説だ。アルカロイドのリコリンを中心とする猛毒成分を含むので、殺鼠剤に使われたという。で、別名が「死人花(しびとばな)」、あるいは「彼岸花」。戦前の曲だが戦後にもよく歌われた歌謡曲に『長崎物語』というのがあり、「♪赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る…」の歌い出しからして華麗なので、よく歌った。しかし歌の「曼珠沙華」が、そこらへんの墓場にいくらでも咲いている「彼岸花」だとは、ちいっとも知らなかったのだった。『日めくり俳句 引出しの三行詩』(2000)所収。(清水哲男)


August 2982001

 職名を明かさぬ友や蕎麦の花

                           新海あぐり

者は男性。俳号の「あぐり」は「Agriculture」から。農家の出だ。帰郷して辺りを散策していたら、古い友人にばったりと出会った。彼もまた、都会に出ていった一人だ。「やあ……」と久しぶりの邂逅に、立ち話となる。成り行きとして、いまどんな仕事をしているのかと問うと、話しを逸らされてしまった。言いたくないのだ。と、作者が気づいたときには、既に気まずい雰囲気となっている。所在なく遠くに目をやると、てんてんと白い「蕎麦の花」が咲いている。子供のころから見慣れた何でもない花なのだが、いつになく寂しい感じに見えたというのである。たいていの歳時記には「寂しげに見える花」と記述されているが、それは通行人の感覚であって、蕎麦を育てている地元の人々にとっては寂しいも何もない。句の眼目も、そこにあるのだろう。友人の不遇を感じて、はじめて「蕎麦の花」が寂しく見える花であることを知ったのだ。もう三十年以上も前、故郷を訪ねたときに、私もこの友人のほうと同じ立場だったことがある。「東京で、何しちょるんかね」と問われて、答えられなかった。話しを逸らした。会社が倒産したので無職だとは、とても言えなかった。『悲しみの庭』(2001)所収。(清水哲男)




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