新学期。朝、みんなと顔を合わせるときの照れ臭い感じがよみがえる。宿題は、当然忘れていった。




2001ソスN9ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0192001

 越中八尾二百十日の月上げし

                           渡辺恭子

日は立春から数えて「二百十日」目。大風(おおかぜ)がおこりやすい頃で、ちょうど稲の開花期にあたることから、農家では風を恐れて「厄日」とした。俳句で「厄日」といえば「二百十日」を指し、したがって「厄日」も秋の季語である。掲句の「八尾(やつお)」は富山県八尾町のことで、近年とみに有名になってきた越中「風の盆」の夕景を詠んでいる。風の神をしずめる風祭と盂蘭盆の収めの行事が合体した「風の盆」は、越中に限らず各地で行われる。そんななかで、ここに人気が集まっているのは、歌われる「越中おわら節」のポピュラリティもさることながら、伴奏に胡弓が使われるところにあるのだろう。私はテレビでしか見たことはないけれど、あの哀調を帯びた調べは、それでなくとも物悲しくなる秋の心に染み込んでくるようだ。今宵の月は、ほぼ真ん丸。晴れていれば、掲句とぴったりの情景のなかで、胡弓の音は夜を徹して冴え渡る。最近はマナーの悪い観光客に悩まされているという話しも聞くが、おだやかな三日間(祭りは今日から九月三日まで)であってほしい。間もなく、秋の農繁期が訪れる。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


August 3182001

 父に金遣りたる祭過ぎにけり

                           藤田湘子

ろそろ秋祭のシーズンだが、単に「祭」といえば夏祭を指す。古くは京都の葵祭(賀茂祭)だけを意味した。八月も、今日でお終い。この句は、過ぎゆく夏を振り返っての作だ。眼目はむろん、父親に小遣いを渡したことにあり、そういうことをしたのはこの夏が最初だったのだ。このとき、作者は五十代。やっと一人前になれたという感慨に加えて、気がついてみたら、作者自身の人生の盛り(夏祭)が過ぎ去っていたことへの哀惜の念も込められている。息子から「祭」の小遣いをもらう身になった父親も十分に老いたが、渡した側ももう決して若くはないのである。ところで、この「遣(や)りたる」という言葉遣いに抵抗を覚える読者もおられるだろう。父親は目上の人だから、「あげたる」ではないのかと……。我が子にも「お菓子をあげる」と言い、犬にまで「餌をあげる」と言うのが一般的なようだから、無理もない。昔は両方ともに「遣る」と言った。すなわち、身内同士の振る舞いを掲句のように他人に示す場合には、一歩へりくだるのが礼儀だったからである。謙譲語に対して謙遜語とでも言うべきか。これを「あげたる」とすると、他人に対してたとえば「ウチのお父さんが」と言うが如しで、気色が悪い。そう言えば、テレビを見ていると「ウチのお父さん」派も増えてきた。内と外との区別がない。それも、内側の言葉を外へと押し広げていくだけのことだから、常識ではこれを「わがまま」と言う。『春祭』(1982)所収。(清水哲男)


August 3082001

 ゆらゆらと回想のぼるまんじゅしゃげ

                           榊原風伯

に吹かれている「まんじゅしゃげ(曼珠沙華)」を、作者は眺めるともなく眺めていた。そのうちに、ぽつりぽつりと過去の出来事のあれこれが、思い出されてきた。だんだんと「ゆらゆらと」揺れる花そのものに、あたかも自分が変身でもしたかのように、次々に「回想」がのぼってくる。「回想のぼる」が、花の揺れと同化した感じをよく出していて面白い。花が栄養を根から茎へと吸い上げるように、作者の思い出も自然に頭に「のぼる」ということである。と言うからには、おそらく作者が立っているのは墓地であろう。死んでいった親しい人々をめぐっての「回想」なのだ。私の記憶でも、曼珠沙華は皇居の堀端に群生するヤツを除くと、多くは墓地に揺れている花であった。墓地に多いのは、土葬の時代にネズミや獣による死体荒らし対策だったというのが通説だ。アルカロイドのリコリンを中心とする猛毒成分を含むので、殺鼠剤に使われたという。で、別名が「死人花(しびとばな)」、あるいは「彼岸花」。戦前の曲だが戦後にもよく歌われた歌謡曲に『長崎物語』というのがあり、「♪赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る…」の歌い出しからして華麗なので、よく歌った。しかし歌の「曼珠沙華」が、そこらへんの墓場にいくらでも咲いている「彼岸花」だとは、ちいっとも知らなかったのだった。『日めくり俳句 引出しの三行詩』(2000)所収。(清水哲男)




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