無線LANがうまくいかない。問題はあのへんだ。その「あのへん」がややこしい。あきらめないぞ。




2001蟷エ9譛16譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

September 1692001

 或る闇は蟲の形をして哭けり

                           河原枇杷男

の音しきりの窓辺で書いています。窓外は真っ暗と言いたいところですが、東京の郊外といえども、どこかしらに光りがあって、真の闇は望むべくもありません。でも、虫の声の聞こえてくるあたりを見やると、そこはたしかに闇の中という感じがします。あちこちに、とても小さな真の闇がある。その意味では、都会の闇には、いつもそれなりの「形」があると言ってもよいだろう。むろん揚句の闇は、巨大なる真の闇である。鼻をつままれても、相手が誰だかわからないほどの……。だから、この闇には形などないわけで、そんな闇に「蟲(むし)の形」を与えたところが手柄の句。そして「哭(な)けり」の主語は「蟲」ではなくて、あくまでも「闇」そのものだ。平たく言えば、たまたま「闇」が「蟲」の形をして、いま「哭」いているのだよという見立て。したがって、句の「蟲の形」は明確な輪郭を持つものではない。いわば心眼をこらせば「蟲の形」をなしてくる「或る闇」なのだ。見ようとしなければ絶対に見えない「形」だし、見ようとすれば見える感じになる「形」である。故にたとえば「或る時」に「或る闇」は、たまたま人間の形になって哭くこともあるだろう。そんな方向に読者を連れていくのが、この句の大きな魅力だと思った。『密』(1970)所収。(清水哲男)


September 1592001

 コスモスや海少し見ゆる邸道

                           萩原朔太郎

洒な「邸(やしき)」の建ち並ぶ道を散策している。塀沿いにはコスモスの花が可憐に咲き、風に揺れている。小高い丘陵にある邸道からは、「海」が「少し見ゆる」というロケーション。視覚的にしっかりと構成されていて、寂しい秋の海の色までが目に見えるようだ。作者以外には、道行く人もいないのである。実は、この句には前書があって「晩秋の日、湘南の或る侘しき海水浴場にて」とある。こうあからさまに説明されてしまうと興ざめで、むしろ前書きは不要と思うが、句だけで立てるかどうかに不安があったのかもしれない。他にも、前書きつきの句の多い人だ。詩人の故か。作句年代は不明だが、いずれにしても昭和も初期の句だ。そのことを頭に入れて読むと、句の印象はかなり変わってくる。というのも、当時の「コスモス」はいまとは違い、とてもモダンな花という印象が強かったからだ。メキシコ原産で、日本には幕末に渡来したそうだが、本格的に広まったのは1909年(明治42年)、文部省が全国の小学校に栽培法を付して配布してからである。つまり珍しい異国の花であり、栽培すべき花であり、ハイカラな花であったわけだ。だから朔太郎の感覚からすると、モダンな邸宅地などにこそ似合う花だった。したがって揚句は、モダンな哀愁を帯びた句として鑑賞しなければならないのだが、もはやコスモスにモダンなフィルター機能は望むべくもない。作者の真意とは、離れたところで読まざるを得なくなっている。俳句も年をとる。『萩原朔太郎全集・第三巻』(1986)所収。(清水哲男)


September 1492001

 水澄みて金閣の金さしにけり

                           阿波野青畝

語は「水澄む」。夏に比べて、秋は大気が爽やかになり水の澄む季節なので、秋の季語である。その水が澄みに澄んで、「金閣」寺を美しく写し出している。さながら絵葉書に見るような情景だ。戦前の作だから、焼失(1950)する前の建物であり、美しさは想像するしかないが、現在のものよりも「金」の色はくすんでいたかもしれない。歴史を経た金色である。その金色が折からの西日を受けて(作者自解による)、くすんだままにくっきりと池に投影されてきた。「さしにけり」の「さす」は、「口紅をさす」などと言うときの「さす」。彩(いろど)りをするという意味。澄み切った池の水に西日の傾きに連れて、すうっと地味な金色が反映してきたときの動的な感覚を表現している。絵葉書と言ったが、この「さしにけり」までの動きは絵葉書では表せない。空は晴れているので、上空には当然秋の夕焼けがのぞめたろう。すなわち、空も金色を湛えていた。と、ここでまた絵葉書。「寺を辞したとき、すでに日が西に没していた」と、自解にある。目裏に美しい残像を刻みつけるようにして、作者は寺を離れたことだろう。日の暮れた京都のひんやりとした大気の感触が、すこぶる心地よい。『国原』(1942)所収。(清水哲男)




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