無線LANは水入りということに。むしゃくしゃするけど、我が非力ゆえ仕方がない。さあ、仕事だ。




2001蟷エ9譛17譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

September 1792001

 茹栗を食べて世帯の言葉かな

                           草間時彦

表を突かれた。言われてみれば、なるほど家族間だけで使う「世帯の言葉」というものがある。家族で「茹栗(ゆでぐり・うでぐり)」を食べながら、作者がどういう言葉を口にしたのかはわからない。が、その言葉は、およそ他人の前では使わない(使えない)ものだった。他人には意味不明に聞こえるような言葉か、あるいは聞かれて気恥ずかしくなるような言葉か。そのことにハッと気がついて、すうっと句になった。栗を茹でるのは、焼いたりするのとはちがって、極めて家庭的な行為なので、「世帯の言葉」に抵抗なくつながっていく。さて、この「世帯の言葉」に対するのが「世間の言葉」だろう。私たちはほとんど無意識のうちに使い分けているが、たまに両者がぶつかりあう現場に遭遇することがある。たとえば、客に招かれたときなどがそうだ。このときに招かれた客は「世間」であり、招いた側は「世帯」である。客は当然「世間の言葉」を使うわけだが、招いた側の家族は客には「世間」で応対し、家族同士では「世帯」で応接しなければならない。「世間」に出たことのない子供でもいると、使い分けが明らかにこんがらがってくる。客には意味不明の言葉を使わざるをえなくなって、照れ笑いを浮かべたりする。そんなシチュエーションではないのに、揚句の作者は「世帯の言葉」に気がついた。「世間」では幼児言葉とされているそれでも使ったのだろうか。『櫻山』(1974)所収。(清水哲男)


September 1692001

 或る闇は蟲の形をして哭けり

                           河原枇杷男

の音しきりの窓辺で書いています。窓外は真っ暗と言いたいところですが、東京の郊外といえども、どこかしらに光りがあって、真の闇は望むべくもありません。でも、虫の声の聞こえてくるあたりを見やると、そこはたしかに闇の中という感じがします。あちこちに、とても小さな真の闇がある。その意味では、都会の闇には、いつもそれなりの「形」があると言ってもよいだろう。むろん揚句の闇は、巨大なる真の闇である。鼻をつままれても、相手が誰だかわからないほどの……。だから、この闇には形などないわけで、そんな闇に「蟲(むし)の形」を与えたところが手柄の句。そして「哭(な)けり」の主語は「蟲」ではなくて、あくまでも「闇」そのものだ。平たく言えば、たまたま「闇」が「蟲」の形をして、いま「哭」いているのだよという見立て。したがって、句の「蟲の形」は明確な輪郭を持つものではない。いわば心眼をこらせば「蟲の形」をなしてくる「或る闇」なのだ。見ようとしなければ絶対に見えない「形」だし、見ようとすれば見える感じになる「形」である。故にたとえば「或る時」に「或る闇」は、たまたま人間の形になって哭くこともあるだろう。そんな方向に読者を連れていくのが、この句の大きな魅力だと思った。『密』(1970)所収。(清水哲男)


September 1592001

 コスモスや海少し見ゆる邸道

                           萩原朔太郎

洒な「邸(やしき)」の建ち並ぶ道を散策している。塀沿いにはコスモスの花が可憐に咲き、風に揺れている。小高い丘陵にある邸道からは、「海」が「少し見ゆる」というロケーション。視覚的にしっかりと構成されていて、寂しい秋の海の色までが目に見えるようだ。作者以外には、道行く人もいないのである。実は、この句には前書があって「晩秋の日、湘南の或る侘しき海水浴場にて」とある。こうあからさまに説明されてしまうと興ざめで、むしろ前書きは不要と思うが、句だけで立てるかどうかに不安があったのかもしれない。他にも、前書きつきの句の多い人だ。詩人の故か。作句年代は不明だが、いずれにしても昭和も初期の句だ。そのことを頭に入れて読むと、句の印象はかなり変わってくる。というのも、当時の「コスモス」はいまとは違い、とてもモダンな花という印象が強かったからだ。メキシコ原産で、日本には幕末に渡来したそうだが、本格的に広まったのは1909年(明治42年)、文部省が全国の小学校に栽培法を付して配布してからである。つまり珍しい異国の花であり、栽培すべき花であり、ハイカラな花であったわけだ。だから朔太郎の感覚からすると、モダンな邸宅地などにこそ似合う花だった。したがって揚句は、モダンな哀愁を帯びた句として鑑賞しなければならないのだが、もはやコスモスにモダンなフィルター機能は望むべくもない。作者の真意とは、離れたところで読まざるを得なくなっている。俳句も年をとる。『萩原朔太郎全集・第三巻』(1986)所収。(清水哲男)




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