交通整理の男に話しかけられた。赤旗を道路に突きだしたまま話に夢中で停める必要もない車が延々と。




2001蟷エ9譛24譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

September 2492001

 臼ニなる榎倒れて夜寒哉

                           中村掬斗

者は一茶門、信州の人。それでなくとも、信州への寒気の訪れは早い。ましてや今日は、夏の間茂り木陰をつくっていた「榎(えのき)」(エノキに「夏の木」という日本字をあてるのは、このことから)が伐り倒され、夜寒もひとしお身にしみる。「榎」は高さ20メートルほどにも及ぶ大木だから、伐り倒された後の光景はさぞや寒々しかったにちがいない。私が気に入ったのは「臼(うす)ニなる」の「なる」。「榎」の材質は堅いので、昔から建材や家具に用いられてきた。が、消費者としての現代人はもはや結果としての建材や家具を目にするだけで、鞠斗の時代の人々のように、目の前の大木が結果としての「臼」になる過程に携わったり見たりすることはない。伐り倒された木の太い部分は「臼」になり、枝の部分は薪炭になる。と、当時の人々は倒された木から、いや木が立っているうちから、ごく自然に過程と結果をイメージできたのだ。その「ごく自然」な心が、臼に「なる」という言い方に表れており、決して臼に「する」ではないのである。木が自然に生長してきたように、今度は自然に臼に「なる」のだと言ってもよい。このことを逆に言えば、当時の読者にとっての掲句の「なる」は、あまりにも当たり前すぎて面白くもなんともなかっただろう。むろん作者の眼目も「なる」にはないので、句意は動かない。『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)


September 2392001

 母の行李底に団扇とおぶひひも

                           熊谷愛子

悼句だろう。亡くなった母親の遺した物を整理するうちに、行李(こうり)を開けたところ、いちばん底のほうから「団扇(うちわ)」と「おぶひひも」が出てきた。彼女は、何故こんな役立たずのものを大事に仕舞っておいたのか。……といぶかしく思いかけて、作者はハッとした。覚えているはずもないが、この「おぶひひも」は赤ん坊の私をおんぶしてくれたときのもの。となれば、この「団扇」は暑い盛りに私に風を送ってくれたものなのだ。二度と使うことはないのに、こうやってとっておいた母の心が、わかったような気がした。母は「行李」を開けたときに、ときどき底のものを見ていたにちがいない。私が反抗したとき、私に馬鹿にされたとき、そして私が結婚して家を出たときなどに……。とくに女性にはプライバシーもへちまもなかった時代には、自分用の「行李」だけは、プライバシーの拠り所だったはずだ。だから、そこに仕舞ってあるのは単なる「物」以上の意味をこめた「もの」も収納されていたのだと思う。このときに「行李」の「底」とは、「心の底」と同義である。何度か読んでいると、自然に涙がにじんでくる。名句である。「おぶひひも」の平仮名が、切なくも実によく効いている。「団扇」は夏の季語だから、一応夏に分類はしておくが、句の本意からすると無季が適切かと。『旋風(つむじ)』(1997)所収。(清水哲男)


September 2292001

 いなづまの花櫛に憑く舞子かな

                           後藤夜半

語は「いなづま(稲妻)」で秋。女性讃句。一瞬、遠くで光った「いなづま」が、眼前の「舞子(舞妓)」の「花櫛(はなぐし)」に「憑く(つく)」ように見えたと言うのである。このときに稲妻は花櫛に同化して花櫛そのものなのであり、間接的にはおそらく彼女の気性の強さを表していて、その気性を作者は好ましく思っているということだろう。稲妻が消えた後でも、花櫛はなお稲妻に憑かれて異彩を放っている。「ウツクシい」な。夜半はこのときに、まだ二十代か。大阪の商人で、遊里に入門したばかりと推定する。そんな初々しさが感じられる句だ。さて、「舞子」の定義。私は京都に住みながら、祇園の女性たちとは当たり前に無縁だった。たまたま、表で見かけるだけ。テレビで観るのと、さして変わりはない異次元世界の存在。したがって、どなたが「舞子」やら「芸子」やらの区別も、いまだにつかないでいる。で、以下はMacに仕込んである小学館の『スーパー・ニッポニカ2001』の丸写しだ。「京阪地方以西における半玉(はんぎょく)の名称。12〜16歳で芸子(げいこ)(芸者)に昇格するのは半玉と同じだが、座敷の余興に舞踊のほか下方(したかた)とよばれる鼓や太鼓の伴奏を勤めるなど独特の風習をもつ。玉代も芸者と同額で、半玉が芸者より低い地位にあるのに対し、芸者と同格に待遇された。座敷に出る盛装は、髪を割信夫(わりしのぶ)に結い、針打・花簪(はなかんざし)などで飾り、大振袖(ふりそで)の友禅を裾(すそ)を引いて着、襦袢(じゅばん)には赤衿を用い、厚板などの帯を「だらり」(猫じゃらし)に結び、戸外は高い木履(おこぼ)(ぽっくり)を履いて高く褄(つま)をとって歩くのを典型とする。1947年(昭和22)以後は年少女子の酒席接待が禁じられたので、年齢が引き上げられるとともに風俗も変化している。〈原島陽一〉」。ふうん、と思うだけ。でも、句の女性の美しさはわかるなあと思うのである。こんなふうに女性を讃めるのは、なかなか難しいんだよ。『青き獅子』(1962)所収。(清水哲男)




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