IRgN句

September 2592001

 夜の黄葉運河に並ぶ娼婦館

                           棚山波朗

語は「黄葉(こうよう・もみじ)」。秋に紅葉しないで葉が黄色くなるのは、イチョウ、ケヤキ、クヌギなど。オランダはアムステルダムでの作句だそうだ。詳しくは知らないが、あの国には公娼制度があって、女たちが春をひさぐ「娼婦館」の建ち並ぶ一画がある。四半世紀ほども前に、一度だけ通りかかったことがあるが、いわゆる「飾り窓」システムだった。私には目もくらむような美女たちが、豪華なインテリアで装飾された部屋で、思い思いの格好で客を待っている。彼女たちと交渉する男は、部屋の片隅の表の細いドアから室内に入り、多くの野次馬に見つめられながら「商談」をせねばならない。だからいくら「旅の恥はかき捨て」と言っても、交渉には相当な度胸がいる。もちろん、金もいる。見ていると、商談不成立ですごすごと出てくる客は、ほとんどが黒人であった。「チクショウめっ」と、これは野次馬たる私の代弁。彼女たちには客を断わる権利があり、眺めていた感じでは「春をひさぐ」というような哀れさは微塵もなかった。そのときに「上を見ろ」と、いっしょにいた事情通が言った。「若い女は、こうして一階にいられる。何年かすると、二階に上がる。そのうちに、最上階に追いやられるんだ」。見上げると、上の階にいくほど照明が薄暗くなっていた。いちばん「黄葉」に近いところでは、灯の消えている部屋もあった。以上が、掲句についての私なりの解釈のつもりである。「俳句」(2001年10月号)所載、『雁風呂』所収。(清水哲男)


September 2292003

 迎へ水足し野井戸汲む秋の昼

                           棚山波朗

つう「迎へ水」というと、盆棚に供える水を思う人が多いだろう。しかし、掲句の水はそうではない。「呼び水」「誘い水」とも言う。でも、この人、よくこんなことを知っているなア。と、句集の略歴を見てみたら、私と同世代で出身地は石川県とあった。さもありなん。「野井戸」だから、ポンプで汲み上げるのではなく釣瓶を使う井戸だ。浅い井戸ならば、柄杓で汲める。日頃あまり使われないので、ちょっと覗くとほとんど水が無い状態か、枯れてしまっているようにすら見えることがある。だが、そこはそれ地下水脈だ。めったに枯れるなんてことはない。そこで必要なのが「迎へ水」というわけである。別の場所から調達してきた水を井戸に注いでやると、あら不思議。しばらく待つうちに、信じられないくらいに水が湧いてくる。水が水を迎えに行った、つまり途中で断たれていた水の道を、「迎え水」が逆方向から浸透して再開通させたという理屈だ。昔の人の知恵の一つである。秋の昼、天高し。野には、気持ちの良い風が吹いている。そんな清々しい野での、この「迎へ水」による達成感も清々しい。はるかな北陸での少年時代の思い出だろうか、それとも最近の体験を詠んだのだろうか。いずれにしても、あまり使われなくなった季語「秋の昼」にふさわしい情景だ。季語がぴしゃりと効いている。そして「秋の昼」と言える時間は短い。やがてこの野には、それこそ釣瓶落しに日暮れがやってくる。『料峭』(2003)所収。(清水哲男)


June 0362008

 ばかてふ名の花逞しや能登荒磯

                           棚山波朗

キダメギクやジゴクノカマノフタなど、気の毒な名を持つ植物は多いが、作者の故郷能登では浜辺の植物ハマゴウ(浜栲)を「バカノハナ」と呼ぶそうだ。一時期を福井県三国に暮らした三好達治に『馬鹿の花』という詩があり「花の名を馬鹿の花よと/童べの問へばこたへし/紫の花」と始まることから、北陸一帯での呼称のようだ。ハマゴウは浜一面を這うように茂り、可憐な紫色の花を付ける。(「石川の植物」HP→ハマゴウ)花は香り高く、葉や実は生薬となり、また乾燥させた葉をいぶして蚊やりとして使用したりと、生活にもごく密着していたはずの植物が、どうしてこんな名前を持つことになったのだろう。さらに言えば、当地の方言で「ばか」を意味する言葉は「だら」を一般的に用いるということもあり、「ばか」という言葉そのものにもどことなく疎外された語感を伴う。掲句では、作者が哀れな名を持ちながら砂浜を一心に埋める花にけなげなたくましさを感じ、また険しい能登海岸の表情をひととき明るくする花の名が「ばか」であることに一抹の悲しみや、わずかな自嘲も含まれているように思う。命名の由来にはあるいは、灼けた砂の上に、誰も見ていないのに、馬鹿みたいにこんなに咲いて…、といういじらしさが込められているのかもしれない。『宝達』(2008)所収。(土肥あき子)




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