アメリカがベトナムで勝てなかったのは、事を空から決着しようとしたからだ。人は地に生きる。




2001ソスN10ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 11102001

 秋の蝶小さき門に就職する

                           宮崎重作

あ、よかったねエ。たとえ「小さき門」の会社だって、とにかく一息はつけるだろうから……。門のある会社といえば、おおかたは製造業だ。じりじりと失業者が増えつつある現在の時点で読むと、他人事ながら素直に祝福したい気持ちになる。ところが、掲句は戦後六年目に詠まれている。1951年(昭和二十六年)。当時の失業率はわからないが、現在の比ではないだろう。もっと高率だったはずだ。だから作者は、たとえ意にそまぬ会社へでも就職できたことを喜んでもよいはずが、その気配もない。「秋の蝶」は力なく弱々しく飛ぶしかなく、みずからも「小さき門」へと力なく弱々しく入っていく。落胆している。終身雇用制が常識だったので、こんなちっぽけな会社に生涯勤めるのかと思うと、気落ちせざるをえなかったのだろうか。俳句はしばしば世相や時の人情を写すが、短くしか語られないので、かえってよくわからないケースが多い。今この句を読んで推測するかぎりでは、少なくとも作者の就職は身近な人からも祝福されていなかったようである。宮崎重作については何も知らないが、気になって作品を追いかけてみた。と、およそ四半世紀後の句に「伊勢の海老阿吽阿吽と喰いはじめ」という句を、ぽつんと見つけることができた。「伊勢海老」は新年の季語だ。なんとなく、ホッとした。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)


October 10102001

 有明や浅間の霧が膳をはふ

                           小林一茶

朝の旅立ち。「有明(ありあけ)」は、月がまだ天にありながら夜の明けかけること。また、そのころを言う。すっかり旅支度をととのえて、あとは飯を食うだけ。窓を開け放つと空には月がかかっており、浅間(山)から流れ出た「霧」が煙のように舞い込んできて「膳(ぜん)」の上を這うようである。「はふ」が、霧の濃さをうかがわせて巧みだ。膳の上には飯と味噌汁と、あとは何だろう。かたわらには、振り分け荷物と笠くらいか。寒くて暗い部屋で、味噌汁をすする一茶の姿を想像すると、昔の旅は大変だったろうと思う。これから、朝一番の新幹線に乗るわけじゃないのだから……。したがって一茶は、私たちが今この句になんとなく感じてしまうような旅の情趣を詠んだのではないだろう。情趣は情趣であっても、早起きの清々しさとは相容れない、いささか不機嫌な気分……。「膳」を這う「霧」が醸し出すねばねばとした感じ……。宿の場所は軽井沢のようだが、もとより往時は大田舎である。句の書かれた『七番日記』には、こんな句もある。「しなのぢやそばの白さもぞつとする」。一面の蕎麦(そば)の花の白さで、よけいに冷気が身にしみたのだ。昔の人は、私たちの想像をはるかに超えて、自然風物に「ぞつと」しながら歩くことが多かったにちがいない。(清水哲男)


October 09102001

 山の蟻叫びて木より落ちにけり

                           大串 章

の作者にしては、珍しくイメージをそのまんまポイッと放り出したような句だ。面白い。むろん「蟻」は豚とちがって(笑)、おだてられなくても日常的に木には登るが、これが落っこちるという想像にまで私は行ったことがなくて、意表を突かれた。そうだなあ、登った以上は、なかには落っこちる奴だっているかもしれないな。それも「叫びて」というのだから、それこそ意表を突かれての不慮の落下なのだろう。百戦錬磨の「山の蟻」が足を踏み外すなんてことは考えられないので、よほどの思わぬ事態に遭遇したのか。「ああっ」と叫びながら、小さな「蟻」にとっては奈落の底と感じられるであろう所まで落ちていった。叫び声が「ああっ」かどうかは読者の思いようにまかされているけれど、そして決して「蟻」は叫ばないのだけれど、この叫び声が読者には確かに聞こえるような気がするという不思議。これも、俳句様式のもたらす力のうちである。叫びながら落ちていった「蟻」は、しかし、死ぬことにはならないだろう。人間である読者の常識が、そう告げている。そこに、句の救いがある。そして、しかしながら「蟻」の叫び声は読者の虚空にいつまでも残る。何故か。私たちが「蟻」ではなくて、ついに「人」でしかないからなのだ。なお、季語は「蟻」で夏に分類されている。俳誌「百鳥」(2001年10月号)所載。(清水哲男)




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