October 202001
日暮れは遊べ大きな栗の木の下で
水野 麗
栗畑ではなくて、自生している「栗の木」のある山地は、昼なお暗いのが常だろう。「夕暮れ」ともなれば、なおさらである。子供らよ、そんな「木の下」で「遊べ」と作者は言う。「いやだよ」と、子供の頃の私だったら尻込みしたはずだ。作者のイメージの先には、遊びに行った子は二度と人里には戻れなくなるという、民話的なシチュエーションがありそうだ。怖い句である。そして掲句は、ひところは大学生にまでも歌われた「大きな栗の木の下で」という歌を踏まえていることも明白だ。底抜けにというか、痴呆的なほどに明るい歌である。だから、余計に怖い句と写る。歌いながら、無邪気に夢中で時を忘れて遊んでいるうちに、みんなが神隠しにあったように忽然と消えてしまう。それを、作者は望んでいるのだから……。邪悪な心からというのではなく、山の持つ霊的な魔力を間接的に示唆しようとした句ではなかろうか。ちなみに歌の「大きな栗の木の下で」の出自については、川崎洋『大人のための教科書の歌』(1998・いそっぷ社)に、こうある。「終戦後、進駐軍の兵士たちが日本に持ってきたものを、聞き伝えて歌い出したという。NHKテレビで『うたのおじさん』友竹正則が遊びの動作をつけて放送したのが広まるきっかけに。教科書には昭和40年が最初の登場で、一年生の教科書を中心に平成7年まで掲載された」。残念ながら、アメリカの栗の木は見たことがない。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)
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