京都の歌人・永田和弘さんに会ったら光る茸を見に行ったとか。今日の京都は時代祭と鞍馬の火祭。




2001ソスN10ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 22102001

 黄落のひかり突切る高校生

                           廣瀬直人

く晴れた日の通学路。黄色く色づいた銀杏の葉が、日差しを受けてきらきらと舞いながら落ちてくる。その「ひかり」を自転車通学の高校生たちが、勢いよく「突切」っていく。「ひかり突切る」で、句の焦点が見事に定まった。「突切る」高校生には、「黄落(こうらく)」の情趣など関係はない。そういうことには、一切無頓着である。彼らにとっては、ただ爽やかな「ひかり」でしかない。それが若さだ。一瞬、そんな姿に作者は見ほれてしまった。歌われているのは、若さへの賛歌である。ある程度の年齢になると、こういう感じ方は誰にでも起きるのではなかろうか。私に若さが多少ともあったころには、他人の若さなんて、ひたすらに猥雑で生臭く騒々しいばかりで、むしろ遠ざけたい対象だった。それがいつの間にか、ただ若いというだけの存在を許容しはじめ、果ては見ほれるようなことにもなってきた。しかし人間は皮肉にできていて、そのただ中にあるときには、おのれの若さには気がつかない。何も感じない。句の「高校生」にしても、むろん同じ感覚だろう。あくまでも気持ちのよい句なのだが、そんなことも同時に思われて、ちょっとセンチメンタルな気分にもさせられてしまった。『日の鳥』(1975)所収。(清水哲男)


October 21102001

 夜の菊や胴のぬくみの座頭金

                           竹中 宏

代劇めかしてはいるけれど、作者はいまの人であるからして、現代の心情を詠んだ句だ。昔もいまも金(かね)に追いつめられた人の心情は共通だから、こういう婉曲表現を採っても、わかる人にはわかるということだろう。「座頭金(ざとうがね)」とは「江戸時代、座頭が幕府の許可を得て高利で貸し付けた金」(『広辞苑』)のこと。どうしても必要な金が工面できずに、ついに高利の金に手を出してしまった。たしかに「胴」巻きのなかには唸るような金があり、それなりの「ぬくみ」はある。これで、当座はしのげる。ひとまずホッと息をついている目に、純白の「夜の菊」が写った。オノレに恥じることなきや。後悔の念なきや。こういうときには、普段ならなんとも思わない花にまで糾弾されているような気になるものだ。ましてや、相手は凛とした「菊」の花だから、たまらない気持ちにさせられる。ここでつまらない私の苦労話を持ち出すつもりはないが、作者が同時期にまた「征旅の朝倒産の昼それらの秋」と詠んでいるのがひどく気にかかる。「征旅(せいりょ)」は、戦いへの旅である。ここで復習しておきたいのは、べつに俳句は事実をそのままに詠むものではないということではあるが、さりとても、さりながら……気にかかる。フィクションであってほしいな。俳誌「翔臨」(第43号・2001)所載。(清水哲男)


October 20102001

 日暮れは遊べ大きな栗の木の下で

                           水野 麗

畑ではなくて、自生している「栗の木」のある山地は、昼なお暗いのが常だろう。「夕暮れ」ともなれば、なおさらである。子供らよ、そんな「木の下」で「遊べ」と作者は言う。「いやだよ」と、子供の頃の私だったら尻込みしたはずだ。作者のイメージの先には、遊びに行った子は二度と人里には戻れなくなるという、民話的なシチュエーションがありそうだ。怖い句である。そして掲句は、ひところは大学生にまでも歌われた「大きな栗の木の下で」という歌を踏まえていることも明白だ。底抜けにというか、痴呆的なほどに明るい歌である。だから、余計に怖い句と写る。歌いながら、無邪気に夢中で時を忘れて遊んでいるうちに、みんなが神隠しにあったように忽然と消えてしまう。それを、作者は望んでいるのだから……。邪悪な心からというのではなく、山の持つ霊的な魔力を間接的に示唆しようとした句ではなかろうか。ちなみに歌の「大きな栗の木の下で」の出自については、川崎洋『大人のための教科書の歌』(1998・いそっぷ社)に、こうある。「終戦後、進駐軍の兵士たちが日本に持ってきたものを、聞き伝えて歌い出したという。NHKテレビで『うたのおじさん』友竹正則が遊びの動作をつけて放送したのが広まるきっかけに。教科書には昭和40年が最初の登場で、一年生の教科書を中心に平成7年まで掲載された」。残念ながら、アメリカの栗の木は見たことがない。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)




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