自転車の少年少女とおばさんよ、細い歩道で後ろからベルを鳴らすな。メーカーよ、ベルをつけるな。




2001ソスN10ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 26102001

 バス停に小座布団あり神の留守

                           吉岡桂六

語は「神の留守」から「神無月」。陰暦十月の異称で、冬。したがって、まだちょっと早い。八百万の神々が出雲大社に集まるため、諸国の神が留守になる月。これが定説のようだが、雷の無い月だから、とも。句のバス停は作者がいつも利用するそれではなくて、旅先だろうか、とにかくはじめてのバス停だ。バス停のベンチに「小座布団」が置いてあること自体が珍しいので、「ほお」と思った。他にバスを待つ人はおらず、作者一人だ。座布団の色までは書いてないけれど、私の好みのイメージとしては、赤色がふさわしい。ちっちゃくて真っ赤な座布団。なんだか小さな神様のために用意されているようだと作者は感じ、でも、いまは出雲にお出かけだからお使いにはならないのだと微笑している。「神無月」の句には意味あり気な作品が多いなかで、即物的にからっと仕上げた腕前に魅かれた。最近の我が町・三鷹市やお隣の武蔵野市では、小回りの利くカラフルで小さなバスが走り回っている。三鷹駅からジブリ美術館へ行くバスも、黄色くてちっちゃな車体だ。こんなバスにこそ「小座布団」が似合いそうだが、ほとんどの停留所にはベンチも置かれていない。『遠眼鏡』(2001)所収。(清水哲男)


October 25102001

 句会果て井川博年そぞろ寒

                           八木忠栄

語は「そぞろ寒(さむ)」で秋。「冷やか」よりもやや強く感じる寒さ。素材的に身内の句の紹介になるが、「句会」とは、詩の書き手がほとんどの小沢信男さんをカシラとする「余白句会」で、年に三度か四度集まっては、故・辻征夫の言葉を借りれば「真剣に遊んで」いる。井川博年は創立メンバーの一人であり、作者の八木忠栄は私同様に、途中から補強(!?)された一人だ。この日の井川君は、調子が悪かった。高校時代に松江図書館で、誰も借り手のない虚子の全集をみんな読んじゃったという人だけに、逆に俳句を知りすぎているが故の弱さの出ることがある。そういう日だった。井川君の風貌を知っている読者であれば、この「そぞろ寒」には一も二もなくうなずけるだろう。山陰の男に特有のそぞろ寒い感じを、確かに井川君は持っている。彼を直接知らない多くの読者には、ご自分の友人知己の誰かれを思い起こしてほしい。それぞれの人には、それぞれに似合う季節があると思いませんか。この句は身内を詠んではいても、暗にそういうことを指さしている。固有名詞を出しながらも、普遍性を保っている。べつに、井川博年を具体的に知らなくたってよいのです。ちなみに作者は長岡の出身だからか、冬の似合う人であり、句集でも佳句は晩秋から冬に集中している。ならば、読者諸兄姉よ、あなた自身に似合う季節は「いつ」だとお思いでしょうか。自分のことはわからない。むろん、私もわからない。というようなことが、掲句からいちばんわかったのは、実は詠まれている井川博年その人であることが、よくわかる一句だと思いました。ね、井川君、そうじゃろうが……。『雪やまず』(2001・書肆山田)所収。(清水哲男)


October 24102001

 満九十歳落葉茶の花生まれ月

                           伊藤信吉

日前に、群馬県は前橋市で創刊された俳誌「鬣(たてがみ)」(発行人・林桂、編集人・水野真由美)をいただいた。その巻頭に、掲句を含む詩人の十八句が「花々」というタイトルで掲載されていた。伊藤信吉さんは、前橋生まれの前橋育ち。萩原朔太郎や萩原恭次郎、高橋元吉などと交流のあった人だ。1906年(明治三十九年)の十一月生まれだから、間もなく満九十五歳になられる。長寿の秘訣は、司修さんに言わせると「ひどい偏食」にあるのだという。「わたしは赤い色をした食べものが嫌いなんさね。トマトとか人参とか」と。それはともかく、このように「満九十歳(まん・きゅうじゅう)」と出られると、何も言うことはなくなってしまう。ただ一点、関心を抱かせられるのは、自分の「生まれ月」に関わる数多い事象や風物のなかから、何を「満九十歳」の人が拾い上げているかということだ。それが「落葉」と「茶の花」であることに、私のなかの高齢者観はひとまず安心し、しかしもしも自分が伊藤さんの年齢まで生き延びることがあったら、このあたりに落ち着くのかなと思うと、なんとなく落ち着きかねる気分でもある。あまりにも、絵に描いたような……。でも、これは伊藤さんのまぎれもない現世現実の率直な気持ちなのだ。粛として受け止めておかねばなるまい。もう一句。「石垣をおおいて秋花獄の跡」。朔太郎の父親が、死刑囚に立ち会う医師であったことをはじめて証したのは、伊藤さんである。間もなく『伊藤信吉著作集・全七巻』が沖積舎より発刊されると、同封の広告にあった。(清水哲男)




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