♪コウバダキカイダ テツダヨオトダヨ ドドドンドドドン ピストンウデダヨ……。軍需哀歌。




2001ソスN10ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 30102001

 草の露かがやくものは若さなり

                           津田清子

に結ぶことが多いので、単に「露」と言えば秋季になる。風のない晴れた夜に発生する。「露」はすぐに消えてしまうので、昔からはかない事象や物事の象徴とされ、俳句でもそのように詠み継がれてきた。「露の世は露の世ながらさりながら」(小林一茶)など。ところが作者は、そのはかない「露」に「若さ」を認めて感に入っている。「かがやくものは若さなり」と、「草の露」を世の物象全体にまで敷衍して言い切っている。言われてみると、その通りだ。この断定こそが、俳句の気持ちよさである。作者にこの断定をもたらしたのは、おそらく作者の年輪だろう。なにも俳句の常識をひっくり返してやろうと、企んでいるわけではない。若いうちは、かえって「はかなさ」に過剰に捉えられる。拘泥する。おのれの、それこそ過剰な若さが、「はかない」滅びへの意識を敏感にさせるからだろう。私自身に照らして、覚えがある。若いときに書いた詩やら文章やらは、ことごとく「はかなさ」に向いていたと言っても過言ではない。このような断定は、初手から我がポエジーの埒外にあった。不思議なもので、それがいまや、この種の断言に出会うとホッとする。「かがやくものは若さなり」。いいなア。老いてからわかることは、まだまだ他にもたくさんあるに違いない。「俳句」(2001年11月号)所載。(清水哲男)


October 29102001

 トンネルの両端の十三夜かな

                           正木ゆう子

宵は、待ちに待った「十三夜」だ。待っていた理由には、二つある。一つは、小学生時代に覚えた戦前の流行歌『十三夜』の歌詞に出てくる月を、ぜひともそれと意識して見てみたいという願望を持ちながら、一度も見たことがなかったこと。中秋の名月とは違い、誰も騒がないので、つい見るのを忘れてきてしまった。今宵こそはというわけだが、天気予報は「曇り後晴れ」と微妙。昭和十六年に流行ったこの歌の出だしは「河岸の柳の行きずりに ふと見合わせる顔と顔」というもので、およそ小学生向きの歌ではないけれど、意味もわからずになぜか愛唱した往時が懐かしい。で、最後に「空を千鳥が飛んでいる 今更泣いてなんとしょう さようならとこよない言葉かけました 青い月夜の十三夜」と「十三夜」が出てくる。「十三夜」は「青い」らしい。もう一つの理由は、恥ずかしい話だが、この歌を覚えてから三十年間ほど、「十三夜」は十五夜の二日前の月のことだと思い込んでいたこと。ところがどっこい、陰暦九月十三日の月(「後の月」)のことだと知ったときには、仰天し赤面した。そんなわけで、「十三夜」の句に触れると身体に電気が走る。掲句の作者は、車中の人だろう。「十三夜」と意識して月を見ていたら、車はあえなくもトンネルへ。そしてまたトンネルを抜けると、さきほどの月がかかっていたというのである。月見の回路が、無事につながった。現代の「十三夜」は、かくのごとくに乾いている。もう、青くはないのかもしれない。「俳句研究」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


October 28102001

 柿むいて今の青空あるばかり

                           大木あまり

天好日。「今の」今しか「青空」を味わえぬ静かな時間。理屈をこねて鑑賞する野暮は承知で述べておけば、句を魅力的にしているのは「柿むいて」という行為が、あくまでも過程的なそれであるからだろう。「柿むいて」ハイおしまいというのではなく、むく目的は無論食べるための準備だ。この句の上五を、たとえば「柿食べて」「柿食えば」とやっても、俳句にはなる。なるけれど、食べるという自足感が「青空」の存在を希薄にしてしまう。食べちゃいけないのだ。下世話に言えば、よく私たちは「さあ、食うぞっ」という気持ちになったりするが、「柿むけば」は「さあ、食うぞっ」のはるかに手前の段階であり、ひとかけらの自足感もない。手慣れた手つきで、ただサリサリと、何の思い入れなくむいているだけである。事務的と言うと「事務」に怒られるかもしれないが、しかし柿をむくというような過程的な行為である「事務」の目からすると、「今の青空」の「今」が自足した目よりも強く意識されるのだと思う。「今」を貴重と感じる心は、いつだって自足のそれからは遠く離れているのだと……。たかが、作者は柿をむいているにすぎない。その「たかが」が「今の青空」と作者との交感関係を、いかに雄弁に語っていることか。でも、やっぱり、こんなことは書くまでもなかったですね。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます