あさみどりすみわたりたる大空のひろきをおのが心ともかな。明治天皇御製。戦後の学校でも朗誦。




2001ソスN11ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 03112001

 定型やひもじくなればイモを食ひ

                           筑紫磐井

句で、単に「いも」と言えば「芋」のことで、里芋を指す。馬鈴薯や甘藷の「藷(いも)」ではない。「芋」は儀礼食として伝統行事に使われてきたから、そしてこの国の「いも」ではかなりの古株(縄文時代には、既に野生種があったという)だから、南米原産の新参の「藷」よりもはるかに格が上なのである。月見に供えるのも、里芋だ。でも、掲句の表記は「イモ」と片仮名である。片仮名にしたのは「里芋」ではないよということであり、「芋」も「藷」も含み込んだすべてのイモ類のことを言っていると受け取った。米が食えずに「ひもじくなれば」イモの類を食うのは歴史的に人の常であり、まさに「定型」。そして、もう一つ。ひもじい作句を比喩的に捉えれば、発想に貧すると必ず貧民がイモを食うような句に仕上げてしまう。これも「定型」。ぼかしてはあっても、むろん作者の力点は後者にかかっているのであり、飢えた人たちが「イモ」を食ったように、いわば定型の伝統的な根菜を食いつくすかのような俳句界の現状を、憂いつつ笑っている。作者は論客としても知られているが、しかし、散文でひもじい俳句作家たちを撃つ限界を心得ている。本物の戦争でも「地上軍」には「地上軍」をぶつけねば勝てないように、「俳句」にも「俳句」をもってするのが最も有効な手だてであることを。このところの磐井句は、そういう意味で見落とせない。次の句などは、無季ながら傑作だ。単なる揶揄や意地悪に終わっていないからである。「虚子・精子頭はでかく肝小さし」。一読、男なら誰しもが、ありもしない自分の「精子の肝」に思いが行ってしまうはずである。俳誌「豈」(2001年AUTUMUN号)所載。(清水哲男)


November 02112001

 菊添ふやまた重箱に鮭の魚

                           服部嵐雪

諧の宗匠は忙しい。連日のように、あちらこちらの句会に顔を出さねばならぬ。したがって食事は外食が多く、嵐雪の時代にはその都度「重箱」を開くことになるわけだ。この日の膳の上には「菊」が添えてあり、おっなかなかに風流なことよと蓋を取ってみて、がっかり。またしてもメインのおかずは「鮭(さけ)」ではないか。このところ、どこへ行っても鮭ばかりが出る。いくら旬だといえども「もう、うんざりだ」と閉口している図だろう。「鮭の魚(うお、あるいは「いお」と読ませるのかも)」と留めたのは、「鮭」と留めると字足らずになるからではなくて、「鮭」にあえて「魚」と念を押すことで、コンチクショウメという意味の、ちょっと語気を荒げたような感じを表現したかったためだと思う。今風に言えば、料亭の飯にうんざりしているどこぞのおエライさんのような贅沢にも思えるが、江戸元禄期あたりの「重箱」は、現代の仕出し弁当に近かったようだ。たとえば正月用の「重箱料理」などの豪華さは、もっと後の時代(18世紀半ばくらい)からのものらしい。となれば、嵐雪のがっかりにも納得がいく。いまの仕出し弁当もたまにはよいが、連日となると辟易するだろう。その昔、人気絶頂のタイガー・マスクが、控室でしょんぼりと仕出し弁当をつついていた姿を思い出した。きっと、うんざりしてたんだな。(清水哲男)


November 01112001

 鰡とんで夜釣の赤き電気浮子

                           本田令佳

語は「鰡(ぼら)」で秋。代表的な出世魚の一つで、成長するにしたがって名前が変わる。幼魚のころは「はく」と言い、途中で幾度か名前が変わり、成魚となり泥臭さが抜けてくる秋になると「ぼら」になる。数年生き延びた大型魚は「とど」。最後が「とど」ゆえ「とどのつまり」なる表現が生まれた。……とは、実は物の本で得た知識であって、私は生きているこの魚を見たことはない。俳句は日常身辺事に取材することが多いので、山の子である私は、海の句が苦手だ。たいていの句が、よくわからない。でも、この句には一読して魅かれた。実景は知らないけれど、寒くて真っ暗な海に赤く灯る電気仕掛けの「浮子(うき)」がぽつりぽつりと浮いている様子を想像すると、鮮やかな絵が浮かんでくる。そして、姿の見えない「鰡」が、ときおりぱしゃっと跳ねる音も聞こえてくる。視覚的効果のなかに、音がよく生きていると思えた。それにしても、いまは「電気浮子」なんて洒落たものがあるのか。子供のころは川でよく釣ったが、あのころいちばん欲しかったのが、ちゃんとした「浮子」だった。買う金がなくて、そこらへんの萱(かや)を適当な長さに切って使っていた。釣りながら最も見つめるのは「浮子」だから、立派なものが欲しくなるのは人情だろう。生まれて初めてパリに行ったとき、デパートの釣り具売り場に、実にさまざまな形と色の「浮子」が並んでいたのが、忘れられない。まさに釘付け状態で、見惚れた。使うことはないが記念に求めようかと思案したけれど、このときも、気に入ったものはあまりに高すぎて買えなかった。「俳句界」(2001年11月号)所載。(清水哲男)




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