京都では千枚漬の漬け込みが始まった。底冷えの季節のはじまり。今年のカブは美味と、ニュースで。




2001ソスN11ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 08112001

 上下線ともに不通ぞ夜鳴蕎麦

                           後藤一之

、屋台を引いて売り歩く蕎麦(そば)。昔の関西には「饂飩(うどん)」の屋台が多かったという。現代では、東西ともに「ラーメン」が主流だろう。駅に着いてみると、事故があって「上下線ともに不通」である。東京あたりでは、しばしばこんな羽目におちいる。とくに、どういうわけか人身事故の多い中央線では……。いつ動き始めるのかわからない電車を、構内で待つのはわびしいものだ。腹も減ってくる。こういうときに「しめたっ」と、帰宅が遅くなる口実を引っつかんで飲み屋を探したのは、若き日の私だ。が、たいていのサラリーマンは、とりあえず駅の近くで商っている「夜鳴蕎麦」でも食って待とうかと、真面目である。そんな客ばかりが、お互いに肩寄せ合って「蕎麦」を啜る図は、これまたわびしくもあり、情けなくもあり……。どうという句でもないけれど、思い当たる読者は多いだろう。この思い当たるところが、俳句の味だ。いや、味噌だ。掲句に比べると、つとに名句の誉れ高いのが山口青邨の「みちのくの雪降る町の夜鷹蕎麦」である。たしかに見事な絵にはなっているけれど、審美的に過ぎて、少なくとも掲句よりはよほど「蕎麦」の味が希薄である。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


November 07112001

 凪ぎわたる地はうす眼して冬に入る

                           飯田蛇笏

冬。暦の上では冬に入った。もとより今日から急に寒くなるわけでもないが、立冬と聞くと、人は「そういえば」と周囲に冬の気配を感じとるものだ。どこの何に、そしてそれをどのように感じ、如何に詠むのか。立冬の句は枚挙にいとまもないが、それぞれの句はそれぞれに冬の気配を述べていて、みなそれなりに味わいがある。読み比べると、なかなかに面白い。そんななかで、掲句は異色に属するだろう。というのも「地はうす眼して」と、山野を擬人化しているからだ。「凪(な)ぎわたる」は、この場合には、空がよく晴れておだやかな状態にあること。したがって、ちっとも厳しい冬を思わせる空ではないのだけれど、しかし、その下に広がる山野をつくづく眺めやると、なんだか「うす眼」をあけているようである。「うす眼」をあけながら、よく晴れたおだやかな空に、鋭敏に眠りの時が近づいてきたことを感じ取っている風情だ。いつかも書いたように、私は動植物やその他の自然の擬人化を好まない。ここでは理由は省略するけれど、この句においては例外的に擬人化が成功していると思った。広い山野に冬が兆すというとき、つまり秋から冬への季節のうつろいの繊細かつ微妙な変化を言うときに、それらを一挙に一言で仕止めるためには、短い俳句では、この方法くらいしかないかなと思うからである。それにしても、このような句は恵まれた自然のなかでの生活からしか現れることはないだろう。今日の東京の地は、たぶんまだ眼をなんとなく見開いているはずだ。むろん、そこに暮らす人々も、また。『家郷の霧』所収。(清水哲男)


November 06112001

 米提げて野分ただ中母小さし

                           飴山 實

書に「母来阪、大阪駅にて」とある。「野分(のわき)」は秋に特有の強風のことで、草木を吹き分けるほどの強い風のこと。さて、作者が田舎から出てきた母親を出迎えたのは、戦後九年目の大阪駅だ。ホームには、台風だったのか、風が激しく吹き過ぎている。そして少し離れた降車口から降りてきた母は、重そうに大きな包みを提げており、作者には中身を問わずとも、それが「米」だとわかった。風にあおられた母の姿は、ことのほか小さく見えた。無理をして「米提げて」くることはないのに……。息子はちらりとそう思い、足早に母に近づいていく。似たようなシチュエーションはよくあるだろうし、句が母子の関係に何か格別な発見をしているわけでもない。「母小さし」も、使い古された言い方である。しかし、なおこの句に私が魅かれるのは、大阪駅に吹く強風を「野分」と言っているところだ。都会の強風を「野分」とする例はあるけれど、その場合には自然の草木や風物が介在する。いかな戦後間もなくとはいえ、大阪駅のホームには一草たりとも生えてはいなかった。なのに、たとえば台風とは言わずに、あえて野を分ける風と言ったのか。言いたかったのだろうか。手品のタネは既に露見しているようなものだが、作者が「小さき母」に認めたのは、単にひとりの老いた母の像だけではなくて、懐かしい田舎のイメージだったからである。実際に提げてきたのは「米」であるが、負ってきたのは故郷であった。このとき、大都会の駅も「野分のただ中」に……。「台風」ではなく「野分」でなければならない所以である。したがって「前書」を必要とした。もはや「木枯らし」の季節だが、今年の秋の部に駆け込み記入(笑)。明日は「立冬」。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




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