December 082001
ヒマラヤの麓に古りし暦かな
山本洋子
外国に取材した句に、佳句は少ない。が、掲句はいただきだ。季語は「古りし暦(古暦)」で冬。使用中の今年の暦だが、来年用の暦が出回りだすと、古暦という感じになる。考えてみると、暦は目に見えない自然の時の流れを目に見えるようにした装置なわけで、実によくできている。装置の形態は種々に変化してきたが、人類最古の文化的所産の一つと言ってよい。暦の必要は、自然現象に関心を抱かざるを得ない生活から発しているはずだ。この国の農事暦などを見ると、そのことが実感される。そういうことからすると、野暮ったい暦のほうが本来の暦なのであり、昨今私たちの部屋にあるような洗練されたデザインのものは、自然現象に関心の希薄な人々のものでしかない。洗練は、自然から遠く離れたところで成立する文化なのだ。いまの「ヒマラヤの麓(ふもと)」では、どんな暦を使っているのだろうか。行ったことが無いのでわからないが、この暦は私たちのものよりも、自然を強く意識して作られているはずなので、見た目には野暮ったいかもしれない。しかしそれがどんな暦にせよ、「古りし暦」が季語として濃密に感じられるのは、現代の日本でよりも、こういう風土のところでだろう。私たちよりもずっと「暦とともにある」人々の生活が、あれこれと想像されて、とても味のある句だと思った。「俳句年鑑」(2002年版・角川書店)所載。(清水哲男)
June 232004
母衣蚊帳の上に鳴りだすオルゴール
山本洋子
季語は「母衣(ほろ)蚊帳」で夏。「蚊帳」に分類。そのものの存在は知っていても、はて何と言う名前のものなのか。知らないで、時々困ることがある。文芸誌の編集者時代に、河野多恵子から電車の車内に立っている金属製の棒、あれを何と呼ぶのかと尋ねられて絶句したことがあった。後でいろいろな人に聞いてみると、どうやら「握り棒」と言うらしいのだが、本当かどうかはいまだに確かめていない。雑誌「俳句」(2004年6月号)の宇多喜代子「古季語と遊ぶ」を読んでいたら、掲句が載っていた。そうだったのかと、思わず膝を打った。我が家にもあって良く知っていたということは、私や弟が使ったことになるわけだ。あの赤ん坊の昼寝のときなどに、身体にかぶせる小さな蚊帳のことを何と言うのか。いまのいままで、私は知らずにいたのである。現代では蚊帳一般が姿を消しているので、知らなくてもどうということはないけれど、気にはなっていた。言われてみれば、たしかにあの蚊帳は「ホロ(幌)」のような形をしている。それで「母衣蚊帳」なのかと、妙に感心してしまったのだった。句意は明瞭で、夏の午後に赤ちゃんが寝ている光景だ。突然、上に吊ってあるオルゴールが鳴りはじめた。作者ははっとして赤ちゃんを見つめたのだが、相変わらずすやすやと眠っている。そんな微笑ましい日常の一齣である。ところでもう一つ、この「オルゴール」も本当は何と言うのかを知らないままにきた。音源はたしかにオルゴールだろうが、いろいろカラフルな飾りも着いていて、メリーゴーラウンドみたいにくるくる回る仕掛けだ。赤ちゃん用だから、なんとなくガラガラのような単純な名前がついていそうな気がする。が、一度もあの名前を具体的に呼んでいるのを聞いたことがない。玩具店で聞けば、わかるだろうか。業界用語でもよいから、知りたいものだ。(清水哲男)
August 232007
よき木にはよき風通る地蔵盆
山本洋子
地蔵盆は陰暦7月23日24日の地蔵菩薩の縁日に行う会式。子供が中心になって地蔵様を祭る慣わしと辞書にはある。地蔵は子供を守る神様とよく言われるが、六道輪廻それぞれの世界での苦難を救ってくださる神様としてよく墓地の入り口に六体ならんでいる。弱い立場の人を最優先に救ってくださるそうだから、子供達にとってスーパーマンのような存在なのだろう。道祖神のように町外れに結界の守り神として建てられることも多いようだ。インターネットであれやこれやと覗いてみたところ地蔵盆が関西で盛んなのは、室町時代に京都中心に地蔵の一大ブームがあり、地蔵盆が根付いたとか。神戸に住んでいた私は経験したことがないが、京都では今も町内の子ども会などを中心に地蔵様に花や餅を供え、ゲームなどを楽しんでいる地域が多いようだ。朝から地蔵の前に賑やかに集まる子供達。町外れの地蔵様の祠には大きな樟が木陰を作り、さわさわと秋めいた風に葉を揺らしている。夜になれば赤い提灯に灯が入り、綿菓子やヨーヨーを携えて集まってきた子供達を見守るように大きな月も顔を出す。夏休みも終わりの一日、「よき木」の下のお地蔵様へ集まる子供達の様子を楽しく想像させる句だ。『京の季語・秋』(1998)所載。(三宅やよい)
July 122008
干梅や家居にもある影法師
山本洋子
子供の頃に住んでいた家には梅の木があり、毎年たくさんの実をつけた。縁側にずらりと梅の実が干されていたのは梅雨が明けてから、もうすぐ夏休みという、一年で一番わくわくする時期だったように思う。この句の梅は、外に筵を敷いて干されているのだろう。小さな梅の実にはひとつずつ、濃い影ができている。影は、庭の木に石に、ひとつずつじっと寄りそい、黒揚羽と一緒にやぶからしのあたりをひらひらしている。干している梅の実がなんとなく気にかかって、日差しの届いている縁側あたりまで出てくると、それまでひんやりとした座敷の薄暗がりの中でじっとしていた影法師が姿を見せる。影法師という表現は、人の影にだけ使われるという。寓話の世界では、二重人格を象徴するものとして描かれたりもするが、じっと佇んで影法師を見ていると、どこにでもついてくる自らの形を忠実に映している黒々としたそれが、自分では気がついていない心の奥底の何かのようにも思えてくる。『木の花』(1987)所収。(今井肖子)
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