ひさしぶりに夜の吉祥寺の街を歩いたが、いやに静かだ。商店街では、今度の土日に勝負をかける。




2001ソスN12ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 19122001

 忘年会一番といふ靴の札

                           皆川盤水

風の店での「忘年会」で部屋に上がるとき、受け取った下足札に「一番」とあった。誰よりも早く到着したからではなく、偶然の「一番」である。他愛ないといえば他愛ない喜びだが、他の「四(死)番」や「九(苦)番」を渡されるよりも、たしかに気分はよいだろう。今年のイヤなことは「一番」に忘れて、よい年がやってきそうな心持ちになる。既に集まっている仲間に、早速この札を見せびらかしたかもしれない。作者、このとき七十六歳。稚気愛すべし。番号といえば、野球好きの連中には選手の背番号だ。銭湯の下足入れなどでは、好きな選手の番号が空いてないかと確かめる。昔は川上哲治の「16」が人気だったし、川上以降は長嶋茂雄の「3」や王貞治の「1」が抜群の占有率を誇っていた。エースナンバーの「18」の人気も高かった。そんな番号が、どういうわけか(としか思えないのだが)たまたま空いていたりすると、大人になってからも、束の間幸福な気分になったものだ。「ラッキー」と、思わずもつぶやいていた。いやはや、まことに他愛ない。最近はテレビ観戦が日常的になったので、背番号もあまり覚えない。覚える必要がないからだ。画面がみんな教えてくれる。昔は、ひいきチームの全レギュラーの番号をそらんじることなど当たり前だったが、いまではそんなファンの数も激減しているのではないか。『随處』(1994)所収。(清水哲男)


December 18122001

 炭俵的にぞ立つてゐようと思ふ

                           小川双々子

語は「炭俵(すみだわら)」で冬。当歳時記では「炭」の項に分類。最近はさっぱり見かけないけれど、あるところにはあるのだろうか。米俵とは違って、カヤなどで編んだ目の粗い俵である。もちろん、名のごとく炭を保管しておくための入れ物だ。炭がいっぱいにつまっている俵は、がっしりと直立している。が、中の炭が減ってくると、当たり前のことながら、だんだんへなへなと崩れそうに傾いてくる。だからときどき、重心を戻してやるために、持ち上げてゆさぶってやる必要がある。作者は、そんな不安定な「炭俵的にぞ」立っていたいと述べている。すなわち「俺が、私が」と自我を丸出しに直立して生きるのではなく、中身が少なくなれば重心がそれなりに変化していき、いまにも倒れそうになり、誰もゆさぶってくれなければ倒れかねない生き方をしたいと言うのである。阿弥陀仏の「他力本願」に似た心境だろうが、作者が敬虔なキリスト者であることを思えば、さまざまな宗教の求めるところは、ついにこのあたりに集約されるのかと考えさせられた。そんな大真面目な物言いはべつにして、傾いた「炭俵」の姿には、なかなか愛嬌がある。この句にもまた、大真面目の重心がどこか妙にずれているような不思議な愛嬌が感じられる。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


December 17122001

 足袋の持つ演劇的な要素かな

                           京極杞陽

語は「足袋(たび)」で冬。女性用は白足袋、男性用は紺色ないしは黒色で、礼装用は男女ともに白足袋である。作者がどんな場面でこう感じたのかは知らねども、言われてみれば、なるほどと得心がいった。たしかに足袋は靴下などよりも、よほど芝居がかって見える。1968年の作だから、もはや足袋をはく人も少なくなっていたころなので、なおさらだ。もっとも作者は、世が世であれば豊岡藩(兵庫県)のお殿様となったはずの人ゆえ、足袋には一般人よりも縁は深かったにはちがいないが……。したがって「演劇的な要素」があることにも、よほど敏感だったのだろう。戦後の吉田茂首相の白足袋姿は有名だったが、彼もまたそこらへんの事情を承知しての演技だったのだろうか。それにしても、「演劇的な要素」なる観念語を無造作に句に放り込んだ(と見えるように、故意に仕掛けた)手法は面白い。作者が虚子の弟子であることを知れば、ますます面白い。句の発想を得た具体的なシーンを写生して上手に詠めば、句意としてはほぼ同意の作品ができるはずだ。が、作者はあえてそうしなかった。たぶん「ハイクハイクした句」に、飽き飽きしていたのだと思う。すなわち裏をかえせば、この句こそが、実は足袋なんかよりもよほど「演劇的な要素」に満ちているの「かな」(笑)。でも、たまには精神衛生上、こういう句もよい。気に入っちゃった。『露地の月』(1977)所収。(清水哲男)




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