明日も仕事だから、今日の休みは有効に使わねばならない。でも、あれもこれもで日が暮れそうな。




2001ソスN12ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 23122001

 ゆく年を橋すたすたと渡りけり

                           鈴木真砂女

年も暮れてゆく。そう思うと、誰しも一年を振り返る気持ちが強くなるだろう。「ゆく年(行く年)」の季題を配した句には、そうしたいわば人生的感慨を詠み込んだ作品が多い。そんななかで掲句は、逆に感慨を断ち切る方向に意識が働いていて出色だ。作者にとってのこの一年は、あまり良い年ではなかったのだろう。思い出したくもない出来事が、いくつも……。だから、あえて何も思わずに平然とした素振りで、あくまでも軽快な足取りで「すたすたと」渡っていく。このときに「橋」は、一年という時間の長さを平面の距離に変換した趣きであり、短い橋ではない。大川にかかる長い橋だ。冷たい川風も吹きつけてくるが、作者は自分で自分を励ますように「すたすた」と歩いてゆくのである。話は変わるが、今日は天皇誕生日。諸歳時記に季語として登録されてはいるけれど、例句も少なく佳句もない。戦前の「明治節」や「天長節」とは、えらい違いだ。清水基吉さんから最近送っていただいた『離庵』(永田書房)に、こんな句があった。「なんといふこともなく天皇誕生日」。多くの人の気持ちも、こんなところだろうか。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


December 22122001

 一族郎党が沈んでゐる柚子湯かな

                           八木忠栄

語は「柚子湯(ゆずゆ)」で冬。冬至の日に柚子湯に入ると、無病息災でいられるという。句は、古い田舎家の風呂場を思い起こさせる。作者は、ひさしぶりに帰省した実家で入浴しているのだろう。台所などと同じように、昔からの家の風呂場はいちように薄暗い。そんな風呂に身を沈めていると、この同じ風呂の同じ柚子湯に、毎年こうやって何人もの血縁者が同じように入っていたはずであることに思いが至った。息災を願う気持ちも、みな同じだったろう。薄暗さゆえ、いまもここに「一族郎党が沈んでゐる」ような幻想に誘われたと言うのである。都会で暮らしていると、もはや「一族郎党」という言葉すらも忘れている始末だが、田舎に帰ればかくのごとくに実感として想起される。そのあたりの人情の機微を、見事に骨太に描き出した腕の冴え。すらりと読み下せないリズムへの工夫も、よく本意を伝えていて効果的だ。なお蛇足ながら、「一族郎党」の読み方は、昔は「いちぞくろうう」ではなく「いちぞくろうう」であった。ならばこの句でも「いちぞくろうう」と読むほうが、本意的にはふさわしいのかもしれない。『雪やまず』(2001)所収。(清水哲男)


December 21122001

 旅人に机定まり年暮るゝ

                           前田普羅

後間もなくの作。作者は年末年始にかけて、よんどころない事情から、旅をつづけなければならなかった。「旅人」に「机」が定まらないのは当たり前で、普段なら何とも思わないが、年の暮ともなると、しばし落ち着きたくなる。幸い長逗留できるところが見つかり、ほっと安堵している図だ。これで、ゆっくりした気持ちで年を越せる。おそらくは、その「机」で掲句を書いたのだろう。かりそめにもせよ、自分用の机があってはじめて安心できるとは、やはり言葉の人ならではの心境である。机があっても、一向に落ち着かない人も大勢いるはずだ。私だと、何が定まると安心できるだろうか。いまだったら、机よりもパソコンかなア……。しかし、実はこのときの作者は、尋常な事情からの「旅人」ではなかった。弟子だった中西舗土の文章を引いておく。「普羅の生涯と作品について特に見逃してはならないのは戦後の漂泊時代である。妻に先立たれ、家や家財を消失し、一人娘も嫁いで全くの孤独となり、門弟を訪ねて北伊勢の禅寺や大和関屋の門弟家に長逗留することもあった」。このことを知らなくても掲句は観賞できるが、知ってしまうと、普羅の安堵のいっそうの深さが思われる。戦後六年目にしてようやく東京都大田区に居を定めることのできた普羅だったが、やがて病臥の身となり、定住三年目(1954)の立秋の日に、ひっそりと世を去った。享年七十一歳。『雪山』(1992)所収。(清水哲男)




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