今日か明日か。例年我が集合住宅にも門松が立てられる。だんだん丈が低くなってくるような……。




2001ソスN12ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 26122001

 雪くれて昭和彷う黒マント

                           浅井愼平

門俳人は、採らないかもしれない。季重なり(「雪」と「マント」は両方冬季)でもあり、「雪くれて」と「行きくれて」の掛け具合も、単なる思いつきといえばそうとも言えるからだ。しかし私には、こういう句はもっと作られるほうがよいと思われた。時代全体のありようを、心象風景的に視覚化してみせたところが実に新鮮だ。時代を詠むにしても、現実の視覚から時代を捉えて仕立て上げるのが多く従来の俳句だとすれば、掲句は時代の持つ漠たる観念性や雰囲気を先につかまえてから作句している。逆方向から、アプローチしている。もとより、従来の句も掲句の場合も、作者はそのあたりのことを截然と方法的に意識しているわけではないだろう。ないけれど、強いて誇張して考えれば、そういうことだと思える。この「黒マント」の人は、何者だかわからない。雪の日の夕暮れにどこからともなく現れ、「行きくれ」たような足取りで、たそがれてゆく「昭和」という時代を彷(さまよ)っているのである。夕暮れの「雪」の灰色がかった白と「マント」の黒とが、やがては夜の闇に同化していくことを想像すれば、読者には「黒マント」の人それ自体が「昭和」のように思えてくるだろう。いわば「昭和の亡霊」か。そして、今の平成の世にもなお、この人は彷いつづけているのだろうとも。『二十世紀最終汽笛』(2001)所収。(清水哲男)


December 25122001

 椅子かつぐひとにつづけり年の暮

                           田中正一

具屋の店員が配達の「椅子」をかついでいると読んでは、面白くない。当たり前にすぎるからだ。そうではなくて、たとえばスーツ姿のサラリーマンがかついでいる。普段ならよほど奇異に見えるはずだが、この時期であれば年用意のためと思えるので、不思議には感じない。きっと年内配達は無理と言われ、それならばと自分で引っかついで帰るところなのだろう。後ろを行く作者は、そんなふうに納得している。納得しないと、とても「椅子かつぐひと」につづくことなどは不気味でできない。歳末ゆえ、奇異とも思わずにつづくことができるわけだ。普段とは違う「年の暮」の街の状態を、一脚の「椅子」の扱われようで簡潔に描き出していて秀逸である。それにしても、この人。このあとで電車に乗るようなことがあったら、車内の座席ではなく、この「椅子」に腰掛けていくのだろうか。愉快な図だ。とまあ、これは句意に関係はないけれど……。このように、歳末ともなると、電化製品など大きな荷物を運ぶ人が増えてくる。そこが泥棒の付け目だと、聞いたことがある。どこやらの放送局から、スタンウェイだったかの高価なピアノを、四五人の男が白昼堂々と運び去ったのも、やはりこの時期だったように思う。ご用心。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)


December 24122001

 大阪に出て得心すクリスマス

                           右城暮石

日前の土曜日の夜。麹町のラジオ局での仕事が終わって、何人かと半蔵門の中華料理屋に立ち寄った。入り口には、豪華なクリスマスツリーが飾ってあった。中華料理と聖樹。そぐわないなと思っていたら、出がけに中国人の元気の良い女店員が言った。「忙しいです。クリスマスが終わったら、すぐにお正月のアレ立てないと」。ショーバイ商売というわけか。なんとなく「得心(とくしん)」した。で、帰宅してから片山由美子の『鳥のように風のように』を読んでいるうちに、紹介されている杉良介の「人を待つ人に囲まれ聖誕樹」が目にとまった。なるほどねえ。この句にも、すぐに「得心」がいった。掲句の作者の「得心」も似たような種類のものだろう。とくに昔の田舎暮らしだと、マスコミ情報としてのクリスマス騒ぎは伝わってきても、実感にはほど遠い。ところが、たまたま大都会の「大阪」に所用で出かけて行ったら、なるほど宗教など関係なしのツリーやらイルミネーションやらで、街は実にきらびやかにしてにぎやかだった。「ほほお」と作者は、一も二もなく「得心」させられたというわけだ。いささかの皮肉も込められてはいるのかもしれないが、むしろ目を真ん丸くしている作者の純な気持ちのほうがクローズアップされていると読んだ。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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