年賀状書きがつづく。午後あたりからは、ひとこと添える余裕もなくなりそう。毎年のことだけど。




2001ソスN12ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 29122001

 蒟蒻を落して跼む年の市

                           飴山 實

語は「年の市」で冬。昔は大晦日まで、新年用の品物を売る市が社寺の境内などに盛んに立ち、買い物客でごったがえした。「押合を見物するや年の市」(河合曽良)。作者は現代の人だから、東京のアメ横のようなところか、あるいは商店街の辻に立つ小市での句だろうか。いずれにしても、混雑のなかでの買い物にはちがいない。注連飾りや盆栽、台所用品から食料品など、実にいろいろな物が売られている。景気のいい売り声に誘われて、あれもこれもと少しずつ買っていくうちに、だんだんと荷物が増えてきて、ついつるりと「蒟蒻(こんにゃく)」を落としてしまった。この場合は、板コンニャクではなく、べちゃっと落ちる糸コンニャクのほうが面白い。しまった。あわてて誰かに踏まれないうちに拾おうとするわけだが、これ以上何かを落とさないように、手元の荷物も慎重に扱わねばならぬ。したがって、ちょっと「跼(かが)」んでから、半ば手探り状態でコンニャクを拾う感じになる。その寸刻の懸命なしぐさは、哀れなような滑稽なような……。些事といえば些事だ。しかし、そんな些事の連続が生活するということであるだろう。さて、押し詰まってきました。今日明日と、類似の体験をする人はきっといるでしょうね。『辛酉小雪』(1981)所収。(清水哲男)


December 28122001

 くれくれて餅を木魂のわびね哉

                           松尾芭蕉

に生きた人も、さすがに年末は侘しかったと見える。新年を迎えるにあたって、何の準備もしなくともよい。なんて気楽な人生なんだ。とは、つゆ思えない句だ。「わびね」は「侘び寝」であり「侘び音」だろう。まだ薄暗い早朝に、どこからか「餅」を搗く音がしてきて、目が覚めた。ぼんやりと聞きながらも、いよいよ「くれくれて(暮れ暮れて)」きたかと思うと、だんだんに搗く音が胸奥に「木魂(こだま)」してきて、侘しさが募ってくる。蒲団をかぶってもう一眠りしようかとも思うが、「木魂」はますます耳につき、さりとて起き上がる気にもなれず……。ただ、じっと薄明の天井を見つめているばかりの三十八歳の男の図。世間から、ひとり取り残された旅人の実感だ。芭蕉には、他にも「ありあけも三十日に近し餅の音」があって、この句も切ない。とくに江戸期の餅搗きは、各家の景気を誇示する意味もあったので、わざわざ暗いうちから起きだして搗くのも、静かな時間に近所中に搗く音をアピールするためであったようだ。さながら名家や大家のごとく、早朝から深夜までかけて大量に搗かねばならぬふりをした、涙ぐましくも姑息な策略である。この策略は、戦後にも私の田舎では尾を引いていて、餅搗きは早朝からと決まっていた。そしてこの早起きだけは、子供にも苦にならなかった。(清水哲男)


December 27122001

 心からしなのの雪に降られけり

                           小林一茶

代の帰省子にも通じる句だろう。ひさしぶりに故郷に戻った実感は、家族の顔を見ることからも得られるが、もう一つ。幼いころから慣れ親しんだ自然に接したときに、いやがうえにも「ああ、帰ってきたんだ」という感慨がわいてくる。物理的には同じ雪でも、地方によって降り方は微妙に、あるときは大いに異なる。これは江戸の雪じゃない。「しなの(信濃)の雪」なのだと「心から」降られている一茶の感は無量である。「心から」に一片の嘘もなく、だからこそ見事に美しい言葉として印象深い。ときに一茶、四十五歳。父の遺産について異母弟の仙六と交渉すべく、文化四年(1807年)の初冬に帰郷したときの句だ。「雪の日やふるさと人のぶあしらい」。家族や村人は冷たかったが、冷たい雪だけが暖かく迎えてくれたのだった。このときの交渉はうまくいかず、一茶は寂しく江戸に戻っている。遺産争いが決着するまでには、なお五年の歳月を要している。さて、この週末から、ひところほど過密ではないにしても、東京あたりでは帰省ラッシュがはじまる。故郷に戻られる読者諸兄姉には、どうか懐かしい自然を「心から」満喫してきてください。楽しいお正月となりますように。(清水哲男)




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