仕事始。昔の農家では耕す真似事をしたという。今の会社でも似たようなもので挨拶回り程度か。




2002ソスN1ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0412002

 初仕事コンクリートを叩き割り

                           辻田克巳

語は「初仕事(仕事始)」で、まだ松の内だから新年の部に分類する。建設のための破壊ではあるが、まずは「コンクリートを叩き割る」のが仕事始めとは、一読大いに気持ちがすっきりした。たぶん「叩き割」っているのは作者ではなく、たまたま見かけた光景か、あるいはまったくの想像によるものか。いずれにしても、作者には何か鬱積した気持ちがあって、そんなこんなを力いっぱい「叩き割」りたい思いを、掲句に託したのだと思う。考えてみれば、誰にはばかることなく、何かを白昼堂々と物理的に「叩き割」れるのは、一部の職業の人にかぎられる。大木を伐り倒すような仕事も、同様の職業ジャンルに入るだろう。「叩き割る」や「伐り倒す」どころか、たとえば人前で大声を発することすら、ほとんどの人にはできない相談なのだ。したがって「叩き割る」当人の思いがどうであれ、この句に爽快感を覚えるのは、そうした私たちの日頃の鬱屈感に根ざしている。そういえば、私が最後に何かを叩き割ったのは、いつごろのことだったか。中学一年の教室での喧嘩で、友人の大切にしていたグラブにつける油の瓶を叩き割ったのが、おそらくは最後だろう。以来、コップ一つ叩き割らない日々が、もう半世紀近くもつづいている……。『新日本大歳時記・新年』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


January 0312002

 双六のごとく大津に戻りをり

                           鈴木鷹夫

語は「双六(すごろく)」で新年。歌ガルタよりもすたれた正月の遊びが、双六だろう。今の子には、もっと面白い遊びがある。私の子供の頃には、少年雑誌の附録に必ず双六があった。組み立てて使うサイコロの付いていたところが、いかにも敗戦直後的。掲句だが、昔の双六の上がりは「京」と決まっていたけれど、近くの「大津(滋賀県)」あたりまで行くと、なかなか上がれない仕組みになっていた。今度こそとサイコロを振っても、また「元に戻る」と出て「大津」に戻される。作者は実際に正月に旅をしているわけだが、何か大津に忘れた用事でも思い出したのか。京都に入る直前から、また大津に取って返した。これではまるで双六みたいだと、苦笑している。ところで『新日本大歳時記・新年』に、草間時彦がこんな文章を寄せていた。初句会では、よく双六などのすたれた遊びも席題となる。「双六という題を貰った俳人は、どうやって句を作ればよいというのだろう。正月の季語の源泉となるしきたりや行事が亡びつつある現代で、正月の季題を詠むにはノスタルジアに頼るよりほかにない。子供の頃をなつかしく思う心である。双六のさいころが青畳の上にころげていたときの思いを現代に生かすのが正月の俳句の作句法だと私は思っている」。同感するしかないが、となれば、掲句はそのノスタルジアを現代に生かした好例と言うべきか。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


January 0212002

 封切れば溢れんとするかるたかな

                           松藤夏山

語は「かるた(歌留多)」で新年。カルタ(語源はポーランド語、イスパニア語という)にもいろいろ種類があるが、この場合は小倉百人一首による歌ガルタだろう。正月のカルタ会。若い男女の交際の場にもなったので、戦前まではとくに盛んだったらしい。歌ガルタは子供用のいろはカルタなどとは違い厚みがあるので、新しいカルタの紙封を切ると、実際「溢れ」るように箱から盛り上がる。その瞬間をとらえた掲句は、作者の弾む心と照応している。楽しい気分の盛り上がりをカルタのそれに託したところが、いかにも言い得て妙だ。私の若い頃には、もう歌カルタは一般的にはすたれかけており、それでも数度カルタ会に参加した記憶はある。最初は急な呼びかけだったので、百人一首を諳んじていない当方としては、大いにあわてた。窮余の一策で数種だけ覚えて出かけ、それだけをひたすら待ちかまえて取ったのだった。なかで、今でも覚えているのは「天つ風雲の通ひぢ吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ」くらいかな。子供時代はいろはガルタ専門で、幼年期に最初に買ってもらったカルタには、昨年亡くなった横山隆一の漫画キャラクター「フクちゃん」の絵が描かれていた。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)などに所載。(清水哲男)




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