手帖をかえるといろいろ厄介。住所録の書き写しなんて気が遠くなる。とは言っても、やらねば。




2002ソスN1ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1912002

 天仰ぐ撃たれし兵も冬の木も

                           野中亮介

語は「冬の木(冬木)」。むろん常緑樹もあるけれど、この季語には葉を落とした寒そうな木のほうが似つかわしい。木を人間に見立てることは昔からよく行われており、絵本などではすっかりお馴染みだ。木も人も単独に細長く立ち、枝が手に通じるので、連想が生まれやすいのである。そういう目で意識して木を眺めてみると、とくに枯れ木は輪郭がはっきりしているから、すぐにいろいろな人の形に見えてくる。作者の場合は「撃たれし兵」に見えたわけだが、見えた背景には、現今の緊迫した世界情勢があるだろう。そしてこのときに、作者もまた「冬の木」とともに、天を仰いでいることを見落としてはなるまい。寒々とした木を見上げながら、長嘆息している様子が目に浮かぶ。ところで、この「撃たれし兵」への連想は、十中八九間違いないと思うが、ロバート・キャパの有名な戦場写真と重なっている。スペイン動乱の戦線で撮影し「ライフ」に掲載された「敵弾に倒れる義勇兵」だ。ロー・アングルからの撮影ということもあるが、撃たれた瞬間の兵は両手をひろげ天を仰いでいる。手元に写真がないので思い出しながらの印象では、あの義勇兵はたしかに細身で枯れ木のようでもあった。六十年以上も昔の写真が、いまこうして私によみがえるとは、それこそ長嘆息ものではないか。ちなみに、作者は四十代。もとより戦場の体験はない。「俳句研究」(2002年2月号)所載。(清水哲男)


January 1812002

 日脚伸ぶ卓に就職情報誌

                           山本ふく子

代一景。季語は「日脚伸ぶ(ひあしのぶ)」で冬。太陽の東から西への動きが「日脚」だ。冬至を過ぎると徐々に昼の時間が伸びてくる理屈だが、それが実感されるのは、暦の上では春も間近い今頃くらいからだろう。「こんな時間なのに、まだ明るい」と思うことがある。なんとなく嬉しくなったりする。作者もおそらくはそんな気持ちになったのだろうが、ふと卓上を見ると「就職情報誌」が置いてある。置いたまま外出したのは、この春に卒業する高校生か大学生の子供だろうか。いずれにしても、職を求めている家人がいるのだ。年が改まっても、まだ就職先が決まらないとなると、当人はもとより親としても大いに気がもめる。心配である。このときに作者は、あらためてまじまじと「就職情報誌」の表紙を見つめたにちがいない。こうなると、逆に「日脚伸ぶ」の季節の到来が恨めしくも感じられてくる。一般的には明るいイメージの季語「日脚伸ぶ」に瞬時不安の影を落とすことで、句としては見事に定まった……。しかし、このお子さん、その後無事に就職することができただろうか。時代が時代ゆえに、後を引く句だ。金曜句会合同句集『すみだ川・第二集』(2002)所収。(清水哲男)


January 1712002

 大仏の冬日は山に移りけり

                           星野立子

子は鎌倉の人だったから、長谷の「大仏」だろう。何も技巧を弄することなく、見たままに詠んでいる。いままで大仏にあたっていた「冬日(ふゆび)」が移って、いまはうしろの山を照らしている。それだけのことを言っているにすぎないが、大きな景色をゆったりと押さえた作者の心持ちが、とても美しい。それまでにこの情景を数えきれない人たちが目撃しているにもかかわらず、立子を待って、はじめて句に定着したのだ。それもまだ初心者のころの作句だと知ると、さすがに虚子の娘だと感心もし、生まれながらに俳人の素質があった人だと納得もさせられる。いや、それ以前に立子の感受性を育てた周囲の環境が、自然に掲句を生み出したと言うべきか。短気でせっかちな私などには、逆立ちしても及ばない心境からすっと出てきた句である。なお参考までに、山本健吉の文章を紹介しておく。「俳句の特殊な文法として、初五の『の』に小休止を置いて下へつづく叙法があるが、この場合は休止を置かないで『大仏の冬日は山に』と、なだらかに叙したものである。それだけに俳句的な『ひねり』はなく、単純な表現だが、淡々としたなかに、大づかみにうまく大景を捕えている」。……この「単純な表現」が難しいのですよね。『立子句集』(1937)所収。(清水哲男)




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