「大寒」ですね。とりわけて東日本では寒さの絶頂期と言われますが、そんなふうには思えません。




2002ソスN1ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2012002

 獄凍てぬ妻きてわれに礼をなす

                           秋元不死男

語は「凍つ(いつ)」で冬。戦前の獄舎の寒さなど知る由もないが、句のように「凍る」感じであったろう。面会に来てくれた妻が、たぶん去り際に、かしこまってていねいなお辞儀をした。他人行儀なのではない。面会部屋の雰囲気に気圧された仕草ではあったろうけれど、彼女の「礼」には、夫である作者だけにはわかる暖かい思いが込められていた。がんばってください、私は大丈夫ですから……と。瞬間、作者の身の内が暖かくなる。さながら映画の一シーンのようだが、これは現実だった。といって、作者が盗みを働いたわけでもなく、ましてや人を殺したわけでもない。捕らわれたのは、ただ俳句を書いただけの罪によるものだった。作者が連座したとされる「『京大俳句』事件」は、京都の特高が1940年(昭和十五年)二月十五日に平畑静塔、井上白文地、波止影夫らを逮捕したことに発する。当時「京大俳句」という同人誌があって、虚子などの花鳥諷詠派に抗する「新興俳句」の砦的存在で、反戦俳句活動も活発だった。有名な渡辺白泉の「憲兵の前ですべつてころんじやつた」も、当時の「京大俳句」に載っている。ただ、この事件には某々俳人のスパイ説や暗躍説などもあり、不可解な要素が多すぎる。「静塔以外は、まさか逮捕されるなどとは思ってもいなかっただろう」という朝日新聞記者・勝村泰三の戦後の証言が、掲句をいよいよ切なくさせる。『瘤』所収。(清水哲男)


January 1912002

 天仰ぐ撃たれし兵も冬の木も

                           野中亮介

語は「冬の木(冬木)」。むろん常緑樹もあるけれど、この季語には葉を落とした寒そうな木のほうが似つかわしい。木を人間に見立てることは昔からよく行われており、絵本などではすっかりお馴染みだ。木も人も単独に細長く立ち、枝が手に通じるので、連想が生まれやすいのである。そういう目で意識して木を眺めてみると、とくに枯れ木は輪郭がはっきりしているから、すぐにいろいろな人の形に見えてくる。作者の場合は「撃たれし兵」に見えたわけだが、見えた背景には、現今の緊迫した世界情勢があるだろう。そしてこのときに、作者もまた「冬の木」とともに、天を仰いでいることを見落としてはなるまい。寒々とした木を見上げながら、長嘆息している様子が目に浮かぶ。ところで、この「撃たれし兵」への連想は、十中八九間違いないと思うが、ロバート・キャパの有名な戦場写真と重なっている。スペイン動乱の戦線で撮影し「ライフ」に掲載された「敵弾に倒れる義勇兵」だ。ロー・アングルからの撮影ということもあるが、撃たれた瞬間の兵は両手をひろげ天を仰いでいる。手元に写真がないので思い出しながらの印象では、あの義勇兵はたしかに細身で枯れ木のようでもあった。六十年以上も昔の写真が、いまこうして私によみがえるとは、それこそ長嘆息ものではないか。ちなみに、作者は四十代。もとより戦場の体験はない。「俳句研究」(2002年2月号)所載。(清水哲男)


January 1812002

 日脚伸ぶ卓に就職情報誌

                           山本ふく子

代一景。季語は「日脚伸ぶ(ひあしのぶ)」で冬。太陽の東から西への動きが「日脚」だ。冬至を過ぎると徐々に昼の時間が伸びてくる理屈だが、それが実感されるのは、暦の上では春も間近い今頃くらいからだろう。「こんな時間なのに、まだ明るい」と思うことがある。なんとなく嬉しくなったりする。作者もおそらくはそんな気持ちになったのだろうが、ふと卓上を見ると「就職情報誌」が置いてある。置いたまま外出したのは、この春に卒業する高校生か大学生の子供だろうか。いずれにしても、職を求めている家人がいるのだ。年が改まっても、まだ就職先が決まらないとなると、当人はもとより親としても大いに気がもめる。心配である。このときに作者は、あらためてまじまじと「就職情報誌」の表紙を見つめたにちがいない。こうなると、逆に「日脚伸ぶ」の季節の到来が恨めしくも感じられてくる。一般的には明るいイメージの季語「日脚伸ぶ」に瞬時不安の影を落とすことで、句としては見事に定まった……。しかし、このお子さん、その後無事に就職することができただろうか。時代が時代ゆえに、後を引く句だ。金曜句会合同句集『すみだ川・第二集』(2002)所収。(清水哲男)




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