「ご答弁を申し上げさせていただきたいと思います」なる言語混乱。言葉が乱れりゃ、何もかも。




2002ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012002

 米磨げばタンゴのリズム春まぢか

                           三木正美

歳時記では「春近し」に分類。いかにも軽い句だけれど、あまり仏頂面して春を待つ人もいないだろうから、これで良い。四分の二拍子か、八分の四拍子か。気がつくと「タンゴのリズム」で「米を磨(と)」いでいた。たぶん、鼻歌まじりにである。なるほど、タンゴの歯切れの良い調子は、シャッシャッと米を磨ぐ感じに似あいそうだ。想像するに、作者は直接手を水につけて磨いではいないようである。何か泡立て器のような器具を使っていて、それがおのずからシャッシャッとリズムを取らせたのだろう。手で磨ぐ場合には、そう簡単にシャッシャッとはまいらない。そんなことをしたら、米が周囲に飛び散ってしまう。子供時代の「米炊き専門家」としては、そのように読めてしまった。ちなみに作者は二十代だが、私の世代がタンゴを知ったのは、ラジオから流れてきた早川真平と「オルケスタ・ティピカ・東京」の演奏からだ。アルゼンチン・タンゴを、正当に継承した演奏スタイルだったという。でも、歌謡曲全盛期の私の耳には、とても奇異な音楽に思えたことを覚えている。いつだったか辻征夫に「『ラ・クンパルシータ』って、どういう意味なの」と聞かれても、答えられなかったっけ。ま、私のタンゴはそんな程度です。「俳壇」(2001年4月号)所載。(清水哲男)


January 2912002

 電話ボックス冬の大三角形の中

                           今井 聖

は大気が澄み、凍空の星の光は鋭く近くに見える。「冬の大三角形」は、3つの星座の明るい星を結ぶと、大きな三角形ができることから命名された。オリオン座α星ベテルギウス(0.4等)、おおいぬ座α星シリウス(−1.5等)、こいぬ座α星プロキオン(0.4等)の三つの星を結ぶ(位置を確かめたい方は、こちらで)。季語にはないので、当歳時記では「冬の星」に分類した。その「大三角形の中」に「電話ボックス」がぽつんと一つ灯っている。電話ボックス自体が、さながら宇宙空間に浮かんでいるようだ。幻想的なイメージの美しさ。宮沢賢治を思い出した。谷内六郎の絵のようでもある。ところで、この電話ボックスの中に、人はいるのだろうか。私の好みでは、無人が望ましい。誰かがいるとなると、地上的現実がいわば錘となって、宙には浮かないような気がするからだ。どうしても人を存在させたいのなら、架空の人物にしてほしい。松本零士描くところの透明感のある美女だったら、確実に宙に浮くだろう。余談だが、我が町三鷹市の国立天文台では、月に二度ほど天体観望会を催している。実施条件に「快晴の夜以外は中止」とある。掲句の空も、むろん快晴でなければならない。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)


January 2812002

 白鳥の首つかみ振り回はす夢

                           高山れおな

語は「白鳥」で冬。どうなることかと読み下していって、最後の「夢」でほっとさせられる。夢では何でもありだから、こんな夢もあるよね。と、気楽に読み捨てにできないところが、掲句の魅力だ。人間誰しも、ときに凶暴な衝動にかられるときがあるだろう。日常生活では厳しく自己抑制している感情だから、たまには夢のなかで爆発したりする。わけもなく、上品でしとやかなイメージの「白鳥」の首根っこを無理無体につかまえて、わめかばわめけと「振り回はす」ようなことが起きる。でも、人間とは哀しいもので、たとえ夢の中にせよ、そのうちに日常の倫理観がよみがえってくるのだ。白鳥を振り回したまではよかったが、次第に凶暴な感情が醒めてきて、「ああ、俺はとんでもないことをやっている。こんなこと、しなければよかった」と思いながらも、しかし、もう手遅れである。できれば、なかったことにしたい。が、現にこうやって振り回している事実は、消えてはくれない。どうにもならない。身の破滅か。……と、自責の念が最高度に高まったところで、はっと目が醒めた。夢だった。ああ、よかった。助かった。ここで読者もまた、同様な気持ちが理解できるので、安堵するという仕掛けの句だ。夢でよかったという思いは、夢の中での被害者としてか、あるいは句のように加害者としてなのか、自分の場合は、どちらが多いのだろう。そんなことを考えさせられる一句でもありますね。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)




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