あくせくと動き回っているうちに一月もお終いか。自分で自分を「更迭」したくなりにけるかも。




2002ソスN1ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3112002

 風鬼元風紀係よ風花す

                           坪内稔典

語は「風花(かざはな)」で冬。晴天にちらつく雪。晴れてはいるが、風の吹く寒い日の自然現象だ。句は「風」を三つも持ちだして、徹底的に遊んでいるわけだが、妙に心に沁みてくる。「風紀係」のせいだろう。敗戦直後の民主主義勃興時の学校では、学級委員のなかでも「風紀係」がもっとも実効性を発揮できた。ハンカチを忘れてないかとか、買い食いをしなかったかだとかをチェックする係。いま思うに、この係だけは、戦前からの価値観をそのまま適用でたので動きやすかった。真面目な子が選ばれ、チェックの厳しかったこと。それに引き換え、名のみトップの「委員長」なんて係は、たとえば男女平等の理念はわかるとしても、実際に教室で何かが起きると、具体的にはなかなか反応できないのであった。ついでに言えば、私は永遠の「書記係」で、ついに今でもそのような者である。さて、いまや「元風紀係」は天に召され「風鬼(ふうき・風の神)」となって、あいかわらず地上のチェックには余念がない。「風花」も、彼ないしは彼女の真面目な働きの一貫だと、作者は言うのだろう。せっかく晴れていて、みんなが機嫌よくふるまおうとしているのに、わざわざ雪をちらつかせる(チェックを入れる)こともあるまいに……。一応こんなふうに読んでみたが、どうだろうか。掲句を一読、私たちの「風紀係」だったあいつを思い出した。どうしているだろう。『月光の音』(2001)所収。(清水哲男)


January 3012002

 米磨げばタンゴのリズム春まぢか

                           三木正美

歳時記では「春近し」に分類。いかにも軽い句だけれど、あまり仏頂面して春を待つ人もいないだろうから、これで良い。四分の二拍子か、八分の四拍子か。気がつくと「タンゴのリズム」で「米を磨(と)」いでいた。たぶん、鼻歌まじりにである。なるほど、タンゴの歯切れの良い調子は、シャッシャッと米を磨ぐ感じに似あいそうだ。想像するに、作者は直接手を水につけて磨いではいないようである。何か泡立て器のような器具を使っていて、それがおのずからシャッシャッとリズムを取らせたのだろう。手で磨ぐ場合には、そう簡単にシャッシャッとはまいらない。そんなことをしたら、米が周囲に飛び散ってしまう。子供時代の「米炊き専門家」としては、そのように読めてしまった。ちなみに作者は二十代だが、私の世代がタンゴを知ったのは、ラジオから流れてきた早川真平と「オルケスタ・ティピカ・東京」の演奏からだ。アルゼンチン・タンゴを、正当に継承した演奏スタイルだったという。でも、歌謡曲全盛期の私の耳には、とても奇異な音楽に思えたことを覚えている。いつだったか辻征夫に「『ラ・クンパルシータ』って、どういう意味なの」と聞かれても、答えられなかったっけ。ま、私のタンゴはそんな程度です。「俳壇」(2001年4月号)所載。(清水哲男)


January 2912002

 電話ボックス冬の大三角形の中

                           今井 聖

は大気が澄み、凍空の星の光は鋭く近くに見える。「冬の大三角形」は、3つの星座の明るい星を結ぶと、大きな三角形ができることから命名された。オリオン座α星ベテルギウス(0.4等)、おおいぬ座α星シリウス(−1.5等)、こいぬ座α星プロキオン(0.4等)の三つの星を結ぶ(位置を確かめたい方は、こちらで)。季語にはないので、当歳時記では「冬の星」に分類した。その「大三角形の中」に「電話ボックス」がぽつんと一つ灯っている。電話ボックス自体が、さながら宇宙空間に浮かんでいるようだ。幻想的なイメージの美しさ。宮沢賢治を思い出した。谷内六郎の絵のようでもある。ところで、この電話ボックスの中に、人はいるのだろうか。私の好みでは、無人が望ましい。誰かがいるとなると、地上的現実がいわば錘となって、宙には浮かないような気がするからだ。どうしても人を存在させたいのなら、架空の人物にしてほしい。松本零士描くところの透明感のある美女だったら、確実に宙に浮くだろう。余談だが、我が町三鷹市の国立天文台では、月に二度ほど天体観望会を催している。実施条件に「快晴の夜以外は中止」とある。掲句の空も、むろん快晴でなければならない。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)




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