February 082002
恋猫の酒樽を飛び跳ねてゆく
高橋とも子
季語は「恋猫(猫の恋)」で春。早春の発情期を迎えた猫の行動を指す。一読、ハードボイルド・タッチに共感した。恋猫の句は数あれど、どうもふにゃふにゃしたものが多いのが不満だ。「恋」という文字概念にとらわれて、人間のそれを連想し、どこかで比較しながら句作するので、ふにゃふにゃしてしまうのだ。その点、掲句は人の恋など知っちゃあいないというところから、はっしと猫の行動のみを捉えている。酒樽から酒樽へと、必死の爪を立てながら、ただ本能のおもむくままに「飛び跳ねて」ゆく。ただそれだけのことをずばりと表現しているのと同時に、この句は人(読者)に向けてのサービスを忘れていないところが素敵なのだ。サービスは「酒樽」にある。実景か否かの問題ではなく、ここに酒樽を配することで、読者は猫の行動にあっけにとられるのと同時に、ふっと人間臭さを酒樽を通した酒の匂いのように嗅がされてしまう。すなわち掲句は、凡百の恋猫句がはじめから人間臭さを取り込んでいるのに対して、読後にそれを感じさせようというわけだ。優れたハードボイルド小説の描写は、すべてこの企みのなかにあると言ってよい。掲句の情景の傍らに何の関係もなく立っているのが、コートの襟を立てた苦みばしったいい男、たとえば私立探偵フィリップ・マーローなのである。すなわち掲句は、この男が実は読者自身にたちまち重なってしまうという仕組みになっている。おわかりかな。『鱗』(2001)所収。(清水哲男)
September 032005
薔薇の酒薔薇の風呂もて持て成さる
高橋とも子
季語は「薔薇」で夏。そのまんまの句なのだろうが、素材が尋常ではない。「薔薇の酒」「薔薇の風呂」とは、いったい何であろうか。知らないのは私だけかもしれないけれど、少年時代に、西欧の女優は牛乳風呂に入るのだそうなと聞いたときのような感じを受けた。その後しばらくして、マルティーヌ・キャロルの主演映画『浮気なカロリーヌ』を見たときに、ようやく納得した覚えがある。この映画、ストーリーとは関係なく、やたらに入浴シーンがあった。バスタブに湛えられた真っ白な液体の説明はなかったけれど、ひとり「ああ、これだな」と私は合点したものである。シャボンの泡だけでは、あの白さは出ないはずだ。そんな連想もあって,まず「薔薇の風呂」のおおよその見当はつき、念のためにとネットで検索してみたら、出てくるわ出てくるわ、知らなかったのはやはり私だけだったようだ。要するに、薔薇の花びらを浮かべた風呂であり、香りが良いらしい。ただ、野暮天としては,入った後の片付けが大変だろうなと、まずは思ってしまった次第だ。次なる「薔薇の酒」だが、どうやらこちらは知らなくても恥ではないようだ。見かけはワインだが、中味は日本酒という珍品だからだ。島根県の酒造会社が昨年,薔薇の花びらを日本酒に漬け込んで薔薇色を出すことに成功し,実験的に売り出したところ大いに売れたということだった。いずれにしても、薔薇づくしの「持て成し」とは豪勢な。そのまんまながら、むしろそのまんまに、句にとどめておきたかった作者の気持ちがわかるような気がする。俳誌「百鳥」(2005年9月号)所載。(清水哲男)
February 132015
鷹匠の獣医の前に畏まる
高橋とも子
鷹はその嘴の先が鋭い鉤型をしている。ゆっくりと飛翔して獲物を探し、小鳥や地上の小動物を捕獲する。これを飼い慣らし猟をさせる鷹狩は歴史が古く、家康時代には将軍の専権として鷹狩を遊んだという。今でも鷹匠という者がおり、鷹狩の地や道も残っている。阿吽の呼吸で鷹を意のままに操る鷹匠はそれこそ寝食を共にしながら飼い慣らし育てる。傷付いた鷹を獣医に見せているその眼差しは我が子に向けるように慈愛に満ちている。とは言え鷹匠の目もまた鷹の様に鋭い。他に<春山のやうなをとこと朝寝せり><まつさきに蛇に駆け寄る少女かな><すさまじき能装束の鱗かな>などあり。『鱗』(2001)所収。(藤嶋 務)
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