子供の頃の田舎ではまだ旧正月を祝う風習が残っていた。男たちが酒盛りをやっていた記憶あり。




2002ソスN2ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1222002

 紅梅や一人娘にして凛と

                           上野 泰

語は「梅」ではなく「紅梅(こうばい)」。白梅に比べて花期が少し遅いことから、古人が梅一般と区別して独立した位置を与えたことによる。句意は、それこそ紅梅のごとくに明晰だ。早春の庭の「一人娘」の「凛(りん)」とした姿がくっきりと浮かび上がってくる。可憐にして健気。他家の娘でもよいのだが、作者にも一人娘があった(下に息子二人)から、おそらく自分の娘のことだと思う。このときに、彼女は十六歳。小さいころには「弟に捧げもたせて雛飾る」のような面があって、気は強いほうなのだろう。というよりも、日常的に弟二人に対していくには、気が強くならざるを得なかったと言うべきか。むろん例外はあるけれど、総じて兄弟のある「一人娘」のほうが姉妹のいる「一人息子」よりも気丈な人が多いようだ。一人息子には、どこか鷹揚でのほほんとした印象を受けることが多い。この違いは、どこから来るのだろうか。兄弟への対応とは別に、女の子が早くから料理など母親の役割を分担するのに対して、男の子は父親の代わりに何かするというようなことがないので、いつまでも子供のままでいてしまう。そこらへんかなあ、と思ったりする。「この娘なら、もう大丈夫」。作者の目を細めてのつぶやきが、聞こえてくるような一句だ。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)


February 1122002

 春の空人仰ぎゐる我も見る

                           高浜虚子

のない青空でも、「春の空」は靄(もや)がかかっていて、白くうるんでいるようだ。そんな空を、誰かが立ち止まって振り仰いでいる。何を熱心に見ているのだろう。鳥か、飛行機か、それとも何か珍しい現象でも……。人の心理とは面白いもので、つい一緒になって仰いでしまう。その人の目線に見当をつけて、何かわからぬものを求めて一心に目を凝らす。透明な空ではないので、同じ方角のあたりをあちこち探し回ることになる。いいトシの大人が、好奇心いっぱいで空を仰いでいる図はユーモラスだ。春ならではののどかさが、じわりと伝わってくる。掲句には実はオチがあって、「春の空人仰ぎゐる何も無し」ということだった。なあんだ。でも、この「なあんだ」も如何にも春の心持ちにフィットする。無内容と言えば無内容。しかし、こういうことが表現できる文芸ジャンルは、俳句以外には考えられない。このあたりが、俳句様式のしたたかなところだろう。無内容を面白がる心は西洋にもあるけれど、俳句のそれとはかなり異なるようである。無内容を自己目的化して表現するのが西洋的ナンセンス詩だとすれば、目的化せずに表現した結果の無内容を楽しむのが俳句ということになろうか。『七百五十句』(1964・講談社「日本現代文学全集」)所収。(清水哲男)


February 1022002

 春の闇幼きおそれふと復る

                           中村草田男

語は「春の闇」。夜の闇ではあるが、感覚的にはうるんだような、しろじろとした光りのあるような闇夜だ。どこか艶なる感じもあって、気分が安らぐ。掲句は、そんな闇のなかで眠りにつこうとしたときの、たまさかの心の揺らぎを詠んだのだろう。「幼きおそれ」の中身は、もとより知る由もない。とにかく、春の闇に身を横たえている安らぎのなかに、「ふと」幼き日のおそれが復(かえ)ってきたのである。仮に他人に話したとしても、一笑に付されてしまいそうな他愛ないおそれ……。だが、当人にとっては、なかなか眠れそうにないほどのおそれなのだ。どなたにも、多少とも覚えがあるのではなかろうか。でも、何故こういうことが起きるのだろう。心理学的解説は知らねども、人が安らぐ心持ちというものが、多くかつての幼児期の心に退行し重なり合うからだろうと、私には体験的に思われる。だから、白昼多忙時には片鱗も思い出すことのない思いが、安らぎを引き金にして、ごく自然によみがえってくることがある。幼き日のおそれが、当時と等価で戻ってきてしまうのだ。むろん私にも「幼きおそれ」はちゃんとあるけれど、やはりここに書けるようなことではない。両親や周囲の大人たちでも、絶対に助けてくれっこないような恐ろしいことが、身に迫ってくる。この怖さは、幼い心におぼろに芽生えはじめた自立心の所産だったのだろうなと、なるべくそう思うようにしてはいる。が、怖いものは怖い。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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