旧暦正月の二日です。年賀状に書いてある「新春」って、こういう季節を指したのですね。納得。




2002ソスN2ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1322002

 菜の花畑扉一枚飛んでいる

                           森田緑郎

渡すかぎり一面の「菜の花畑」。日本では多く水田の裏作として栽培されていたが、最近では見かけなくなった。まだ、どこかにあるのだろうか。「菜の花畑に入り日薄れ」と歌われる『朧月夜(おぼろづきよ)』は1914年(大正3)の小学校唱歌。作詞者の高野辰之は長野県の出だ。昨年、ドイツに住む娘が、走行中の車から撮影して送ってくれた写真には唸らされた。ヨーロッパのどこの国かは忘れたが、とにかく行けども行けども黄色一色、黄色い海なのだ。あれほどの黄色の中に埋もれてまじまじと眺めやれば、掲句のようなイリュージョンもわいてくるに違いない。「いちめんのなのはな」に牧歌性を認めつつも、ついには「やめるはひるのつき」と病的なイメージを描いたのは山村暮鳥だった。どこからか「扉一枚」が吹っ飛んできて、上空に浮かんで走っている。どこまで飛んでいくか。しかし、どこまで飛んでも、やがては落ちてくる。そこらへんの菜の花をなぎ倒すようにして、物凄い速さで落下してくるだろう。そんな恐怖感も含まれているのではなかろうか。この句には英訳がある。「Field of flowering rape--/one door sailing in the sky.」。『多言語版・吟遊俳句2000』(2000)所載。(清水哲男)


February 1222002

 紅梅や一人娘にして凛と

                           上野 泰

語は「梅」ではなく「紅梅(こうばい)」。白梅に比べて花期が少し遅いことから、古人が梅一般と区別して独立した位置を与えたことによる。句意は、それこそ紅梅のごとくに明晰だ。早春の庭の「一人娘」の「凛(りん)」とした姿がくっきりと浮かび上がってくる。可憐にして健気。他家の娘でもよいのだが、作者にも一人娘があった(下に息子二人)から、おそらく自分の娘のことだと思う。このときに、彼女は十六歳。小さいころには「弟に捧げもたせて雛飾る」のような面があって、気は強いほうなのだろう。というよりも、日常的に弟二人に対していくには、気が強くならざるを得なかったと言うべきか。むろん例外はあるけれど、総じて兄弟のある「一人娘」のほうが姉妹のいる「一人息子」よりも気丈な人が多いようだ。一人息子には、どこか鷹揚でのほほんとした印象を受けることが多い。この違いは、どこから来るのだろうか。兄弟への対応とは別に、女の子が早くから料理など母親の役割を分担するのに対して、男の子は父親の代わりに何かするというようなことがないので、いつまでも子供のままでいてしまう。そこらへんかなあ、と思ったりする。「この娘なら、もう大丈夫」。作者の目を細めてのつぶやきが、聞こえてくるような一句だ。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)


February 1122002

 春の空人仰ぎゐる我も見る

                           高浜虚子

のない青空でも、「春の空」は靄(もや)がかかっていて、白くうるんでいるようだ。そんな空を、誰かが立ち止まって振り仰いでいる。何を熱心に見ているのだろう。鳥か、飛行機か、それとも何か珍しい現象でも……。人の心理とは面白いもので、つい一緒になって仰いでしまう。その人の目線に見当をつけて、何かわからぬものを求めて一心に目を凝らす。透明な空ではないので、同じ方角のあたりをあちこち探し回ることになる。いいトシの大人が、好奇心いっぱいで空を仰いでいる図はユーモラスだ。春ならではののどかさが、じわりと伝わってくる。掲句には実はオチがあって、「春の空人仰ぎゐる何も無し」ということだった。なあんだ。でも、この「なあんだ」も如何にも春の心持ちにフィットする。無内容と言えば無内容。しかし、こういうことが表現できる文芸ジャンルは、俳句以外には考えられない。このあたりが、俳句様式のしたたかなところだろう。無内容を面白がる心は西洋にもあるけれど、俳句のそれとはかなり異なるようである。無内容を自己目的化して表現するのが西洋的ナンセンス詩だとすれば、目的化せずに表現した結果の無内容を楽しむのが俳句ということになろうか。『七百五十句』(1964・講談社「日本現代文学全集」)所収。(清水哲男)




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