アメリカの花屋から「バレンタインの花」の宣伝メールが来た。注文したら、どうするんだろう。




2002ソスN2ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1422002

 肝油噛みし頃が初恋黄水仙

                           守屋明俊

語は「黄水仙(きずいせん)」で春。単に「水仙」なら冬。野生だと、それぞれの花期が違うからだろう。そう言えば、子供の頃にはよく「肝油(かんゆ)」を飲まされたっけ。一億総栄養失調時代。ビタミン(肝油はAとDを含む)不足を補うために、たしか学校で配られたような記憶がある。正直言って、飲みにくかった。球を丸ごと飲めないので噛むことになるのだが、噛むと生臭い液体が口中にひろがって不味かった。そりゃそうだ。後で知ったのだけれど、あれはマダラやスケソウダラの内蔵を加工したものだそうである。さて「初恋」の思い出と言えば、普通は甘酸っぱいものと相場が決まっているようなものだが、掲句は不味い肝油を持ちだしてきて、読者をハッとさせる。肝油の不味さが、遠い日の思い出にすっとリアリティを添えている。昔の自分を美化していないからこそ、浮かんでくるリアリティなのだ。と言うといささか大袈裟になるが、当時を振り返っての軽い自嘲の心を肝油に込めたのだろう。これがたとえば飴玉だったりしたら、それこそ甘い句になってしまう。しかし、もちろん相手については、永遠に美化の対象でありつづけなければならない。すなわち、思えば「黄水仙」のように明るく清々しい女性であったと……。いまごろ、どうしているだろうか。作者の目の前で、黄水仙が揺れている。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


February 1322002

 菜の花畑扉一枚飛んでいる

                           森田緑郎

渡すかぎり一面の「菜の花畑」。日本では多く水田の裏作として栽培されていたが、最近では見かけなくなった。まだ、どこかにあるのだろうか。「菜の花畑に入り日薄れ」と歌われる『朧月夜(おぼろづきよ)』は1914年(大正3)の小学校唱歌。作詞者の高野辰之は長野県の出だ。昨年、ドイツに住む娘が、走行中の車から撮影して送ってくれた写真には唸らされた。ヨーロッパのどこの国かは忘れたが、とにかく行けども行けども黄色一色、黄色い海なのだ。あれほどの黄色の中に埋もれてまじまじと眺めやれば、掲句のようなイリュージョンもわいてくるに違いない。「いちめんのなのはな」に牧歌性を認めつつも、ついには「やめるはひるのつき」と病的なイメージを描いたのは山村暮鳥だった。どこからか「扉一枚」が吹っ飛んできて、上空に浮かんで走っている。どこまで飛んでいくか。しかし、どこまで飛んでも、やがては落ちてくる。そこらへんの菜の花をなぎ倒すようにして、物凄い速さで落下してくるだろう。そんな恐怖感も含まれているのではなかろうか。この句には英訳がある。「Field of flowering rape--/one door sailing in the sky.」。『多言語版・吟遊俳句2000』(2000)所載。(清水哲男)


February 1222002

 紅梅や一人娘にして凛と

                           上野 泰

語は「梅」ではなく「紅梅(こうばい)」。白梅に比べて花期が少し遅いことから、古人が梅一般と区別して独立した位置を与えたことによる。句意は、それこそ紅梅のごとくに明晰だ。早春の庭の「一人娘」の「凛(りん)」とした姿がくっきりと浮かび上がってくる。可憐にして健気。他家の娘でもよいのだが、作者にも一人娘があった(下に息子二人)から、おそらく自分の娘のことだと思う。このときに、彼女は十六歳。小さいころには「弟に捧げもたせて雛飾る」のような面があって、気は強いほうなのだろう。というよりも、日常的に弟二人に対していくには、気が強くならざるを得なかったと言うべきか。むろん例外はあるけれど、総じて兄弟のある「一人娘」のほうが姉妹のいる「一人息子」よりも気丈な人が多いようだ。一人息子には、どこか鷹揚でのほほんとした印象を受けることが多い。この違いは、どこから来るのだろうか。兄弟への対応とは別に、女の子が早くから料理など母親の役割を分担するのに対して、男の子は父親の代わりに何かするというようなことがないので、いつまでも子供のままでいてしまう。そこらへんかなあ、と思ったりする。「この娘なら、もう大丈夫」。作者の目を細めてのつぶやきが、聞こえてくるような一句だ。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)




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