まだ二月というのに、暖かい日がつづきます。助かりますが、不気味でもあります。




2002ソスN2ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2322002

 紙風船突くやいつしか立ちあがり

                           村上喜代子

語は「風船」で春。明るく暖かい色彩が、いかにも春を思わせるからか。さっきまで、作者のいる部屋で子供が遊んでいたのだろう。残していった紙風船をどれどれと、ほんの手すさびのつもりで突いているうちに、だんだん本気になってきて、「いつしか立ちあが」ってしまっていた。そんな自分への微苦笑を詠んだ句だ。春ですねえ……。ところで、紙風船というといつも思うのだが、ゴム風船などよりも段違いに素敵な発明だ。密封したゴムの球に空気を入れる発想は平凡だが、紙風船の球には小さな穴が開けてあるのが凄い。突きながら穴から空気を出し入れして、空気の量を調節するように設計されている。市井の発明者に物理の知識があったわけではないだろうから、何か別のものや事象にヒントを得たのだろうか。いろいろ想像してみるのだが、見当がつかない。手元の百科事典にも、次の記述があるのみである。「紙風船は、紙手鞠(てまり)、空気玉ともいう。色紙を花びら形に切って張り合わせた球で、吹き口の小穴から息を吹き込んで丸く膨らませ、突き上げたりして遊ぶ。1891年(明治24)ごろから流行し、のちには鈴入りのものもつくられた。(C)小学館」。それにしても「空気玉」とは、またなんとも味気ない命名ですね。鈴入りのものは、子供の頃に祖母に見せられたような記憶があるけれど、いまでも売られているのだろうか。『つくづくし』(2001)所収。(清水哲男)


February 2222002

 春の夜や盥を捨る町はずれ

                           与謝蕪村

こを書いてアップした後で「しまった」と思うことがある。何故あんなにトンチンカンな解釈をしてしまったのだろう、などと。でも、多くの場合は訂正しないことにしている。書いているときには確かにそう思ったのだから、それはそれで仕方がない。トンチンカンもまた私の内実だし、トンチンカンがあるからこそ、表現者としての私もかろうじて成立しているのだから……と。言いわけするのではないが、掲句についての萩原朔太郎の鑑賞文があって、実にトンチンカンな解釈をしている。何故、こんなふうに思ったのだろうか。不可思議かつ面白いと思うので、全行を引用しておく。「生暖かく、朧に曇った春の宵。とある裏町に濁った溝川が流れている。そこへどこかの貧しい女が来て、盥を捨てて行ったというのである。裏町によく見る風物で、何の奇もない市中風景の一角だが、そこを捉えて春夜の生ぬるく霞んだ空気を、市中の空一体に感触させる技巧は、さすがに妙手と言うべきである。蕪村の句には、こうした裏町の風物を叙したものが特に多く、かつ概ね秀れている。それは多分、蕪村自身が窮乏しており、終年裏町の侘住いをしていたためであろう」(岩波文庫版『郷愁の詩人 与謝蕪村』)。はてな。たしかに「盥を捨る」とはあるけれど、誰が読んでも「盥(の水)を捨る」と思うのではないだろうか。だったら「裏町によく見る風物」としてよいが、そうではなくて盥そのものを捨てたと信じた詩人の直感は、どういうところから生まれてきたのだろう。この間違いの根っこには、何があるのか。トンチンカンだと言い捨てるのではなく、そこのところに猛烈な好奇心がわく。(清水哲男)


February 2122002

 週刊新潮けふ發賣の土筆かな

                           中原道夫

聞の地方面に、そろそろ「土筆(つくし)」の写真が春の便りとして載るころだ。筆の形に似ているので、土筆と言う。なるほど。作者は、実際にこの春はじめての土筆を発見したのだろう。ぽっと気持ちが温まった耳に、例の子供の声によるコマーシャル「しゅうかんしんちょうは、きょうはつばいで-す」が響いてきたのか、ふとよみがえってきたのか。ともかく、土筆と子供の声で春の訪れの感じが増幅されたというわけだ。発売された「週刊新潮」本体とはほぼ無関係に、コマーシャルを持ってきたところが面白い。「ほぼ無関係」と言うのは、たぶん作者は子供の声のほかに、あの谷内六郎の表紙絵もイメージしているに違いないと思ったからである。土筆と子供と、そして谷内六郎の絵。これだけ揃えば、まさに「春が来た」ではないか……。創刊(1956)時のスタッフに聞いた話だと、表紙絵を描く人は、九分九厘「ベビーギャング」などの漫画家・岡部冬彦に決まっていたのだという。それが、土壇場で谷内六郎に変更になった。依頼に行った編集者が、画稿料として「これくらいで如何でしょう」と片手を広げて見せたところ、即座に嬉しそうにうなずいた。編集者は五万円のつもりだったのだが、この仕事で一世を風靡することになる抒情画家は、てっきり五千円だと思ったのだった。『歴草(そふき)』(2000)所収。(清水哲男)




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