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March 1732002

 みちのくの淋代の浜若布寄す

                           山口青邨

語は「若布(わかめ)」で春。日本独特の海草で、北海道東海岸を除き全国的に分布している。「淋代(さびしろ)」は青森県三沢市に属するが、命名の由来は知らねども、なんという淋しげな地名なのだろう。地名だけで、北国の荒涼とした寒村を彷彿させる。その淋代のひっそりとした浜辺には、浅瀬に若布が揺らいでいるばかり。北国に遅い春がやっと到来したのだけれど、光りの明るさゆえになおさら寂寥感が募るという趣だ。ところで、戦前の淋代の浜は、イワシの地引網で大いににぎわったという。それに、飛行機ファンならご存知のように、ここは航空機史上では名高い土地なのである。1931年(昭和六年)アメリカのハーンドン、パングボーン両飛行士による最初の太平洋無着陸横断飛行の出発点となったところだからだ。二人の飛行機野郎は、単葉機「ミス・ヴィードル号」の荷重を軽くするために、飛び立つとすぐに海に車輪を投げ捨てた。胴体着陸覚悟の決死行だ。そして41時間13分後に、シアトル東方のワシントン州ウェナッチ飛行場に無事着陸。冒険は成功した。作者は、こうした史実を承知して詠んでいるはずだ。すなわち「つわものどもが夢の跡」と。しかし、こうしたことを知らなくても、掲句は十分に観賞に耐え得る。多くの歳時記が、若布の例句として掲げている所以だろう。(清水哲男)


May 0352004

 乾きゆく音をこもらせ干若布

                           笠松裕子

語は「若布(わかめ)」で春。井川博年君から、彼の故郷(島根県)の名産である「板わかめ」をもらった。刈ってきた若布を塩抜きしてから板状に乾かして、およそ縦横30センチほどにカットした素朴な食品だ。特長は、戻したり特別な調理をしたりすることなく、袋から出してすぐに食べられるところである。早速食べてみて、あっと思った。実に懐かしい味が、記憶の底からよみがえってきたからだった。子供の頃に、たしかに食べたことのある味だったのだ。ちょっと火にあぶってからもみ砕いて、ご飯にかけたり握り飯にまぶたりしていたのは、これだったのか……。住んでいたのが島根隣県の山口県、それも山陰側だったので、島根名産を口にしていたとしても不思議ではない。それにしても、半世紀近くも忘れていた味に出会えたのは幸運だ。こういうこともあるのですね。そこで、誰かがこの懐かしい「板わかめ」を句に詠んでいないかと探してみた。手元の歳時記をはじめ、ネットもかけずり回ってみたが、川柳のページに「少しだけ髪が生えたか板ワカメ」(詠み人知らず)とあったのみ。笑える作品ではあるけれど、私の懐かしさにはつながらない。そこでもう一度歳時記をひっくり返してみているうちに、ひょっとすると「板わかめ」を題材にしたのかもしれないと思ったのが掲句である。食べるときのパリパリした感じが、実は「乾きゆく音」がこもったものと解釈すれば、「板わかめ」にぴったりだ。いや、これぞ「板わかめ」句だと、いまでは勝手に決め込んでいる。山陰地方のみなさま、如何でしょうか。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


May 1852009

 筍と若布のたいたん君待つ日

                           連 宏子

の命は「たいたん」という関西言葉だ。関東言葉に直せば「煮物」であるが、これではせっかくの料理の「味」が落ちてしまう(笑)。この句には、坪内稔典・永田和宏による『言葉のゆくえ』(2009・京都新聞出版センター)で出会った。出会った途端に、美味しそうだなと唾が湧いてきた。ただし関西訛りで読めない人には、お気の毒ながら、句の味がきちんとはわからないだろう。同書で、稔典氏は書いている。「女性がやわらかい口調で『たいたん』と発音すると、筍と若布のうまみが互いにとけあって、えもいえぬ香りまでがたちこめる感じ。『たいたん』は極上の関西言葉なのだ」。ついでに言っておけば、関東ではご飯以外にはあまり「炊く」を使わないが、関西では関東の「煮る」のように米以外の調理にも頻繁に使う。冬の季語である「大根焚(だいこたき)」は京都鳴滝の了徳寺の行事だから、やはり「煮」ではなく「焚(炊)」でなければならないわけだ。同じ作者で、もう一句。「初蝶や口にほり込む昔菓子」。これも「ほうり込む」では、情景的な味がでない。言葉の地方性とは、面白いものである。なお、掲句の季節は「筍」に代表してもらって夏季としておいた。『揺れる』(2003)所収。(清水哲男)




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