第三種郵便がなくなると俳句結社などは困るでしょうね。その分、会費に上乗せか。




2002ソスN4ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1342002

 先人は必死に春を惜しみけり

                           相生垣瓜人

多喜代子が「俳句研究」(2001年5月号)で紹介していた句。思わず吹きだしてしまった。皮肉たっぷりな句だが、しかし不思議に毒は感じられない。惜春の情などというものは自然にわき出てくるのが本来なのに、詩歌の先人たちの作品を見ていると、みな「必死に」なって行く春を惜しんでいる。どこに、そんな必要があるのか。妙なこってすなア。とまあ、そんな句意だろう。この句を読んでから、あらためて諸家の惜春の句を眺めてみると面白い。事例はいくらでもあげられるが、たとえば先人中の先人である芭蕉の句だ。『奥の細道』には載っていないけれど、同行の曽良が書き留めた句に「鐘つかぬ里は何をか春の暮」がある。旅の二日目に、室の八島(現・栃木市惣社)で詠んだ句だ。「何をか」は「何をか言はんや」などのそれで、入相の鐘(晩鐘)もつかないこの里では、何をたよりに春を惜しめばよいのかと口をとんがらかしている。だったら別に惜しまなくてもいいじゃんというのが、瓜人の立場。天下の芭蕉も、掲句の前では形無しである。はっはつは。なお「春の暮」は、いまでは春の夕暮れの意に使われるが、古くは暮春の意味だった。その点で、芭蕉の用法は曖昧模糊としている。たぶん、暮春と春夕の両者にかけられているのだろう。詠んだのが、旧暦三月二十九日であったから。(清水哲男)


April 1242002

 葉ざくらの口さみしさを酒の粕

                           安東次男

語は「葉ざくら(葉桜)」。通常では夏に分類されるが、今年は花が早かったので、いまごろの句としても違和感はない。艶を帯びた葉が美しい。句は「葉ざくらの」で切れている。この「の」がポイントで、強いて単純に言えば「の」の後に「季節」だとか「頃の気分」だとかという言葉が省略されているわけだ。が、それだけにとどまらず、同時に句全体にもかかっていると読める。「葉ざくらや」と、一度完全に切り離しても句にはなるけれど、「の」とぼかしたほうが情趣が伸びる。葉桜とは何の関係もない「口さみしさ」の淡い食欲と「酒の粕(かす)」のほのかな酒精にも、それとなくマッチしてくる。それにしても、口さみしさを癒すのに酒粕とは粋だなあ。ちょっと火に焙ってから、ちょっと千切って口にしている。私だったらせいぜいが飴玉どまりだから、とても句にはなりそうもない。たとえ家に酒粕があったとしても、こういうときに食べようとは思いも及ばないだろう。句が作者の実際を詠んだかどうかは二の次なのであって、この取りあわせと先の「の」とが微妙に照応しあい、いまだ春愁を引きずっているような初夏の気分が鮮やかに出た。ご存知の読者も多いと思うが、作者はつい先ごろ(4月9日)他界された。享年八十二。合掌。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


April 1142002

 滅入るほど草青みゐて死が近し

                           小倉涌史

者五十九歳の絶筆。連作「受洗せり」の最後にこの句を原稿用紙に書きつけてから、三ヶ月の後にこの世を去ることになる。膵臓癌であった。小倉涌史と当サイトとは浅からぬ縁があったが、そのことは既に書いたことがあるので略する。季語は「草青む」で春。「下萌(したもえ)」と同様に、早春の息吹きを伝える季語だ。その青さが「滅入るほど」とあるので、作句の時期が仲春ないしは暮春であることが知れる。「花の下遺影のための写真撮る」と死を覚悟した人が、「滅入るほど」と言うのは壮絶な物言いだ。生命力あふれる青草の勢いに、みずからの残り少ない弱い命が気圧されている。それも息苦しいほどに、だったろう。しかし、このときに「滅入るほど」という措辞は、単なる嘆きの表現ではないと、私には感じられる。「滅入ってしまった」のではなく、あくまでも「滅入るほど」なのだからだ。「滅入るほど」には、なお作者に命の余力があることが示されている。すなわち、弱き命がここで強い青草の命のプレッシャーを、微力なれども押し返そうとしていることになる。作者の身体が、そして命が、自然にそのように反応したのだ。壮絶と書いたのは、しかるがゆえに「死が近し」と、あらためて覚悟せざるを得なかった作者の胸のうちを推し量ってのことでもある。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)




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