我が窓下のつつじは咲く気配なし。マンション大修繕工事のシートで日が遮られている。




2002ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742002

 新茶開封ニュージャージィに湯の滾る

                           秋本敦子

語は「新茶」。夏に分類されるが、鹿児島産は既に出回っており、静岡市場では今日が初取引だそうだから、何でも早出しの時代ゆえ、もはや春(晩春)の季語としたほうがよいのかもしれない。作者は海外生活の長い人。句集の後書きに「アメリカ大陸という広大な異質な風土と、多民族の織りなす特異の文化のなかで、私はどこまで詠うことが出来たであろうか」とある。虚子や漱石などをはじめとする海外旅行吟を目にすることは多くても、その土地での生活者の句を読む機会は少ないので、興味深く読めた。なかで、最も成功している句の一つを紹介しておく。今年も、日本から新茶が届いた。「開封」すると、懐かしい香りがぱあっと立ち上ってくる。早速賞味しようと湯をわかしている場面だが、薬缶に湯の「滾る(たぎる)」場所を指して「ニュージャージィに」と大きく張ったところが素晴らしい。仮に日本での句だとして、たとえば「北海道に」などとやってみればわかるのだが、いかにも大袈裟すぎていただけない。しかし、ここは日本ではない。でも、句は日本人に伝えるものだ。むしろ意識的に大袈裟な表現をしたほうが、新茶を得た異国の生活者の喜びが素直に伝わるのではないか。そう判断しての詠みぶりだろう。ニュージャージィ州全体が、作者のささやかな幸福感に満ちているようだ。旅行者にはイメージできないアメリカが、新茶の香りとともに伝わってくる。アメリカでご覧の読者諸兄姉、如何ですか。『幻氷』(2002)所収。(清水哲男)


April 1642002

 晩春をヌード気分のマヨネーズ

                           小枝恵美子

もようやくたけなわを過ぎ、どこか気だるいような雰囲気のなかで、卓上に「マヨネーズ」の入ったポリ容器が立っている。「ヌード」は単なる裸体を言うのではなく、そこに審美的要素が絡む概念だ。流線型の容器の形といい、薄く透けて見える卵黄色といい、たしかになまめかしい感じがする。この句のよさは、おそらくは誰しもが何となく感じているマヨネーズのなまめかしさを、ずばりヌードと言い切ったところにある。さらにマヨネーズを擬人化して、マヨネーズが勝手にそんな「気分」になっているのだと思うと、可笑しくも可愛らしい。もしも、句のマヨネーズにキューピー人形のマークが付いていたとしたら、もっと可笑しいだろうな。なまめかしさとは無縁のキューピーちゃんが、一所懸命大人ぶっている図には微笑を禁じえない。あれはメーカーがマヨネーズを健全なる家庭に普及さすべく、なるべく本体のなまめかしさを打ち消すために採用した苦心のキャラクターではあるまいか。感覚そのままに成人女性のヌードでは具合が悪いし、かといって、あまりにも違うイメージではもっと具合が悪いし……。と、そんなことまで考えてしまった。ところで、いまでこそどこの家庭にもあるマヨネーズだが、四十年前くらいまではなかなか受け入れられなかったようだ。全国マヨネーズ協会の調査によれば、一人当たりの年間消費量は、1960年度でたったの151グラム。それが2000年では1895グラムと、10倍以上に跳ね上がっている。少年時代の私は、マヨネーズの存在すら知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)


April 1542002

 春の潮先帝祭も近づきぬ

                           高浜虚子

語は「春の潮(はるのしお・春潮)」。海の潮の様子は、季節の変化をよくあらわす。春には、しだいに冬の藍色が薄くなり、明るい色に変わってくる。それだけでも心が弾んでくるが、ああ今年も祭りが近づいてきたと思えばなおさらだ。そんな弾む心を潮に反射させた虚子の腕前は、さすがだと思う。どこがどうというわけでもないのだけれど、人と自然との親和的な関係がよく描出されている。「先帝祭(せんていさい)」は、山口県は下関市赤間神宮のお祭りだ。5月2〜4日。一度だけだが、学生時代に見物したことがある。竹馬の友が菓子メーカーに住み込みで働いていて、彼を訪ねたところ、それが偶然にも祭りの当日だった。平家滅亡のとき、壇ノ浦で入水した安徳天皇は阿弥陀寺(明治以降は赤間神宮)に葬られたが、後鳥羽天皇が先帝のため命日の旧暦三月二十四日に法要を営み、先帝会と称したことに始まるという。女官が菩提を弔うため遊女に姿を変えて参拝したという伝えによって、女官装束で行列して参拝する「じょうろう道中」が、祭りのクライマックスだ。沿道に立っていても、眠くなるようなよい日和だった。写真が残っているはずだが、どこに紛れているのか。小学校の修学旅行は下関と小倉だったが、貧しくて行けなかった。だから、このときの「先帝祭」こそが私の下関の大切な思い出だ。その後、下関に行くたびに必ず小倉にも足をのばすことになった。掲句に惹かれたのには、そんな個人的な事情もからんでいる。平井照敏編『俳枕・西日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)




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