マンションの理事会のアミダで「監事」役を引き当てた。理事長には外れで「ほっ」。




2002ソスN4ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1842002

 吹き降りのすかんぽの赤備前なる

                           宮岡計次

火だすき
語は「すかんぽ」で春。酸葉(すいば)とも。私の故郷山口県では、酸葉と呼んでいた。茎や葉に酸味があり、口さみしくなると摘んで吸ったものだ。全国どこにでも自生していたはずが、最近ではさっぱり見かけない土地もある。私の住む三鷹近辺でも見たことがない。句では、すかんぽが強い風雨にさらされている。眺めていると、その「赤」色がいよいよ鮮やかに写り、やはり「備前(びぜん)」ならではの「赤」よと感に入っている。備前は、現在の岡山県の南東部の古名。なぜ備前ならではなのかと言えば、作者には備前名物の焼物が意識されているからだ。備前焼。釉薬(ゆうやく)をかけずに素地(きじ)の渋い味わいを生かすのが特色で、肌は火や窯の状態で変化し、なかでも火だすき(写真参照)に一特色がある。すなわち、作者の眼前で激しく揺れているすかんぽの色と形状は、さながら備前焼の火だすきのようであり、さすがは備前よというわけだ。また、この「備前なる」の「なる」はすかんぽにかけられていると同時に、作者にも「備前なる(私)」とかかっている。作者が備前の人なのか旅行者なのかはわからないが、いずれにしても、今このようにして備前にあることの誇らしさを詠んだものだ。藤村の「小諸なる古城……」と同様の「なる」で、単にそこにあるのではなく、そこならではのと、作者のプライドを含ませた「なる」である。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


April 1742002

 新茶開封ニュージャージィに湯の滾る

                           秋本敦子

語は「新茶」。夏に分類されるが、鹿児島産は既に出回っており、静岡市場では今日が初取引だそうだから、何でも早出しの時代ゆえ、もはや春(晩春)の季語としたほうがよいのかもしれない。作者は海外生活の長い人。句集の後書きに「アメリカ大陸という広大な異質な風土と、多民族の織りなす特異の文化のなかで、私はどこまで詠うことが出来たであろうか」とある。虚子や漱石などをはじめとする海外旅行吟を目にすることは多くても、その土地での生活者の句を読む機会は少ないので、興味深く読めた。なかで、最も成功している句の一つを紹介しておく。今年も、日本から新茶が届いた。「開封」すると、懐かしい香りがぱあっと立ち上ってくる。早速賞味しようと湯をわかしている場面だが、薬缶に湯の「滾る(たぎる)」場所を指して「ニュージャージィに」と大きく張ったところが素晴らしい。仮に日本での句だとして、たとえば「北海道に」などとやってみればわかるのだが、いかにも大袈裟すぎていただけない。しかし、ここは日本ではない。でも、句は日本人に伝えるものだ。むしろ意識的に大袈裟な表現をしたほうが、新茶を得た異国の生活者の喜びが素直に伝わるのではないか。そう判断しての詠みぶりだろう。ニュージャージィ州全体が、作者のささやかな幸福感に満ちているようだ。旅行者にはイメージできないアメリカが、新茶の香りとともに伝わってくる。アメリカでご覧の読者諸兄姉、如何ですか。『幻氷』(2002)所収。(清水哲男)


April 1642002

 晩春をヌード気分のマヨネーズ

                           小枝恵美子

もようやくたけなわを過ぎ、どこか気だるいような雰囲気のなかで、卓上に「マヨネーズ」の入ったポリ容器が立っている。「ヌード」は単なる裸体を言うのではなく、そこに審美的要素が絡む概念だ。流線型の容器の形といい、薄く透けて見える卵黄色といい、たしかになまめかしい感じがする。この句のよさは、おそらくは誰しもが何となく感じているマヨネーズのなまめかしさを、ずばりヌードと言い切ったところにある。さらにマヨネーズを擬人化して、マヨネーズが勝手にそんな「気分」になっているのだと思うと、可笑しくも可愛らしい。もしも、句のマヨネーズにキューピー人形のマークが付いていたとしたら、もっと可笑しいだろうな。なまめかしさとは無縁のキューピーちゃんが、一所懸命大人ぶっている図には微笑を禁じえない。あれはメーカーがマヨネーズを健全なる家庭に普及さすべく、なるべく本体のなまめかしさを打ち消すために採用した苦心のキャラクターではあるまいか。感覚そのままに成人女性のヌードでは具合が悪いし、かといって、あまりにも違うイメージではもっと具合が悪いし……。と、そんなことまで考えてしまった。ところで、いまでこそどこの家庭にもあるマヨネーズだが、四十年前くらいまではなかなか受け入れられなかったようだ。全国マヨネーズ協会の調査によれば、一人当たりの年間消費量は、1960年度でたったの151グラム。それが2000年では1895グラムと、10倍以上に跳ね上がっている。少年時代の私は、マヨネーズの存在すら知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)




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