May 032002
半抽象山雀が籠出る入る
竹中 宏
季 語は「山雀(やまがら)」で夏。シジュウガラ科の鳥で、鳴き声や色合いといい、なかなかに愛嬌がある。体長は15センチ弱。昔の縁日などで、よく「おみくじ引き」をやっていたのが山雀だ。まずは客が賽銭を渡すと、山雀使いのおじさんが籠をあけ、山雀に一円玉を渡す。すると小鳥はコインを銜えて参道を進み、賽銭箱に金を落とし、鈴を鳴らす。それから階段を登り、お宮の扉を開け、中からおみくじを取り出す。そしておみくじの封を開け、調べるようにクルクル回しておじさんに渡す。で、麻の実をもらうと、ちょんちょんと元の籠に戻って行く。とまあ、こんな段取りだ。見ていて、飽きない。作者も、しばらく見ていたに違いない。が、見ているうちに、山雀のあまりの正確な動きに、具象というよりも抽象的なフォルムを感じてしまった。目の前の山雀は、間違いなく具象としての存在だ。しかし、動きは抽象的と思われるほどに、きっちりと一定の動きしか見せない。そこで「半抽象」という言葉が浮かんできたのだろう。普通の国語辞典では見当たらないが、美術用語としてはごく普通に使われている。「半具象」なる言葉も、よく使われる。そういえば小鳥に限らず、人間に芸を仕込まれた動物の動きは、みなこのような「半抽象」のフォルムに集約されるのかもしれない。彼らは具象として生きながら、半分は本来の複雑な身体機能を奪われ抽象化されてしまっているのだ。その芸は見飽きなかったけれど、どこかに哀れを感じたのは、そういうことだったのかと、掲句を読んでハッと胸に来るものがあった。野鳥保護法で、この「半抽象」芸も息絶えてしまったけれど。俳誌「翔臨」(2002・第43号)所載。(清水哲男)
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