j句

May 0652002

 夏来たる市井無頼の青眼鏡

                           佐藤雅男

の上とはいえ、今日から夏だと思うと、なんとはなしに心が明るくなる。その嬉しさを表現するのに、昔から詩歌ではさまざまな小道具が持ちだされてきたが、この句の「青眼鏡」は異色だ。紫外線を避けるためのサングラスは、昔は黒眼鏡が普通だった。句が作られた年代は、諸種の条件を絞り込んでいくと戦後であり、いちばん新しくても1960年代半ばころかと思われる。このころに黒眼鏡ではなく「青眼鏡」をかけるとすれば、もとより実用のためではない。昔流に言えばダテ眼鏡、今風に言えばファッション・グラス。黒眼鏡だって、ダテにかけはじめる人が増えてきたのも、60年代くらいから。その頃だったろうか。美空ひばりの母親が「夜でも黒眼鏡をかけているような人とは話もしたくない」と言った相手は、野坂昭如であった。そのように、とにかく色眼鏡をかけているだけで、不良だと思われた時代があった。作者はそのことを百も承知の上で「市井無頼(しせいぶらい)」の徒を気取って街に出たのだ。青い眼鏡を通して見える風景は、裸眼で見るよりももちろん幻想的であり、それが「もう夏なんだなあ」という嬉しさを増幅してくれる。加えて、すれ違う人々が自分のことを「マトモな人間じゃないな」などと苦々しく感じているかと思えば、まるで映画の主人公にでもなったような気分で、ますます嬉しくなる。かつて、夜でも黒眼鏡をかけていた私には、このキザな男の他愛ないが、やや屈折した気持ちの昂ぶりようがよくわかる。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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