週間天気予報によれば、東京ではこれからしばらく太陽が出ない。外れてくれますように。




2002ソスN5ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0852002

 卯の花やちちの描きし左馬

                           佐藤さよ子

左馬
語は「卯の花」で夏。陰暦四月を「卯月」と呼ぶのは、この花に由来する。庭木か生け垣にか、今年も卯の花が咲きはじめた。豪奢な花ではないので、作者のつつましやかな家のたずまいが浮かんでくる。どんな場面かは想像するしかないけれど、たとえば、玄関をガラッと開けたときに、明るい五月の日差しのなかの白い花を見たのではあるまいか。陽光は玄関先にも射し込んできて、飾ってある「左馬(ひだりうま)」をまぶしく照らし出した。長い間飾ってあるので、日頃はさして気にもとめないのだが、このときはあらためて見入る気持ちになったのだろう。左馬は、将棋の駒に「馬」の文字を鏡文字のように左右逆にして書く。由来には、諸説がある。「うま」の逆は「まう」なので「舞う」に通じ、舞いは祝いの席に欠かせないから縁結びの駒。下方の形が巾着に似ているので、お金を呼び込む駒など。いずれにしても縁起物で、父親は駒作りの職人(書き師)だったのだろう。商売とはべつに、娘のために精魂込めて描いてくれた逸品なのだ。飾っておいたからといって、とりたてて家運隆盛ということもなかったが、可もなく不可もなく、こうやって暮らしていけることが、父親が飾り駒に込めたいちばんの願いだったのではあるまいか。元気だった父親のことがしみじみと思い出され、いまにも卯の花の向こうからひょっこり顔をのぞかせそうな……。写真は、天童市観光物産協会のページから拝借。「俳句」(2002年5月号)所載。(清水哲男)


May 0752002

 榛名山大霞して真昼かな

                           村上鬼城

榛名山
週の土曜日、群馬の現代詩資料館「榛名まほろば」に少し話をしに行った。会場の窓からは、赤城・妙義と並ぶ上毛三山の一つである榛名山が正面に望見された。土地の人に聞くと、春から初夏にかけてのこれらの山は靄っていることが多く、なかなかくっきりとは見えないそうだ。この日もぼおっと霞んでいた。そこでこの句を思い出し、真昼のしんとした風土の特長を正確かつおおらかに捉えていると納得がいった。鬼城は榛名にほど近い高崎の人だったから、常にこの山を眺めていただろう。旅行者には詠めない深い味わいがある。ところで「榛名まほろば」は、詩人の富沢智君が私財を投じて作った施設だ。設立趣旨に曰く。「現代詩にかかわる人なら誰もが一度は夢見るお店として、開店に向けて動き始めました。喫茶室とイベントスペースを設けた、閲覧自由の現代詩資料館としてオープンする予定です。すでに、各地には立派な文学館が建設されていますが、多くは潤沢な資金と立地とにめぐまれているにもかかわらず、あるいはそれ故に、運営面での柔軟さに欠けるきらいがあるのではないでしょうか。……」。場所は北群馬郡榛東村広馬場で、有名な伊香保温泉から車で15分ほど。高崎からのバスの便もある。全国から寄贈された詩書がぎっしりと並んでいて、背表紙を眺めているだけで現代詩の厚みが感じられた。そして確かに、公共施設にはない自由で伸びやかな雰囲気も。平井照敏編『俳枕・東日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0652002

 夏来たる市井無頼の青眼鏡

                           佐藤雅男

の上とはいえ、今日から夏だと思うと、なんとはなしに心が明るくなる。その嬉しさを表現するのに、昔から詩歌ではさまざまな小道具が持ちだされてきたが、この句の「青眼鏡」は異色だ。紫外線を避けるためのサングラスは、昔は黒眼鏡が普通だった。句が作られた年代は、諸種の条件を絞り込んでいくと戦後であり、いちばん新しくても1960年代半ばころかと思われる。このころに黒眼鏡ではなく「青眼鏡」をかけるとすれば、もとより実用のためではない。昔流に言えばダテ眼鏡、今風に言えばファッション・グラス。黒眼鏡だって、ダテにかけはじめる人が増えてきたのも、60年代くらいから。その頃だったろうか。美空ひばりの母親が「夜でも黒眼鏡をかけているような人とは話もしたくない」と言った相手は、野坂昭如であった。そのように、とにかく色眼鏡をかけているだけで、不良だと思われた時代があった。作者はそのことを百も承知の上で「市井無頼(しせいぶらい)」の徒を気取って街に出たのだ。青い眼鏡を通して見える風景は、裸眼で見るよりももちろん幻想的であり、それが「もう夏なんだなあ」という嬉しさを増幅してくれる。加えて、すれ違う人々が自分のことを「マトモな人間じゃないな」などと苦々しく感じているかと思えば、まるで映画の主人公にでもなったような気分で、ますます嬉しくなる。かつて、夜でも黒眼鏡をかけていた私には、このキザな男の他愛ないが、やや屈折した気持ちの昂ぶりようがよくわかる。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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