さて阪神巨人戦。今宵は仕事でラジオも聞けない。そのほうが精神衛生上はよいのかも。




2002ソスN5ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1052002

 母郷つひに他郷や青き風を生み

                           沼尻巳津子

語は「青き風(風青し)」で夏。青葉のころに吹き渡るやや強い風のことで、「青嵐」「夏嵐」などとも。嵐とは言っても、晴れ晴れとした明るい大風だ。掲句は、母をはじめとする母方の血縁者が「つひに」絶えてしまったことへの感慨である。作者は、ひとり残っていた血縁の者が亡くなって、葬儀のために久しぶりの「母郷」に出かけてきたのだろう。幼いころから、母と一緒に何度も訪れた土地である。楽しい思い出も、いっぱい詰まっている。しかし、この土地もこれで「他郷」となってしまった。もはや、二度と訪れることはないだろう。青葉が繁る美しい季節に、今年も昔と少しも変わらない「青き風」が生まれていて、これきり縁が切れてしまうなど信じられない。が、人の現実は時の流れに連れて変わるのだ。自然はそのままでも、人は同じからず……。明るい「青き風」のなかでの感慨ゆえに、いっそう「他郷」の現実が心に沁みる。昔も今も、一般的に父方の土地で生活する(生活した)人は多いが、母郷での生活者は少ない。したがって父郷はまたみずからの故郷なのだが、母郷はそうではない。血縁者以外に、友人知己はいないのが普通だろう。ここに、母郷に対する何か甘酸っぱいような思いがわいてくる。その一種甘美な思いが滲んだ良き土地とも、いつかこのような現実によって、すぱりと絶たれてしまうことが起きる。『背守紋』(1969)所収。(清水哲男)


May 0952002

 苗代に満つ有線のビートルズ

                           今井 聖

語は「苗代(なわしろ)」で春。現在では育苗箱で育てる方式が多いので、なかなか見られなくなった。句が1993年(平成五年)に詠まれていることからすると、まだ昔ながらの方式も細々とつづいているようだ。相当に大きな苗代田だろう。生長した若い苗がぎっしりと立ち並び、山からの風にそよぐ様子は、陳腐な形容だが絵のように美しい。植田のグリーンは淡くはかなげだが、苗代田のそれは濃くたくましい。その上を有線放送でビートルズの曲が颯爽と流れているのは、いかにも現代的で面白い。一昔前なら絶対に演歌だったろうが、有線の選曲担当者の世代も代替わりしてしまい、いまや演歌には関心を示さないのだ。村の古老たちはこのビートルズを聞いて、どんな思いでいるのだろう。ちょっとそんなペーソスも含み込んで、時代の移り行きに鋭敏な佳句である。蛇足めくが、句の有線(法規上では「有線ラジオ放送」)は都市の街頭放送などと同じ原理によるが、一定区域内に音響を送信する「告知放送」と呼ばれている。1956年(昭和三十一年)に農林省の新農山漁村建設計画で補助金が出たことから、急速に全国に普及した。主たる用途は災害時の緊急警報や役場からのお知らせにあったが、そんなにいつも告知すべき事柄があるわけじゃない。したがって、多くは役場の若者の趣味的音楽番組垂れ流しのメディアと化し、うるさいのなんのって……。いまでもほとんどの自治体に有線設備はあるけれど、さすがに日頃は送信しなくなってしまった。したがって、掲句のビートルズ放送は、極めて稀なケースでもある。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)


May 0852002

 卯の花やちちの描きし左馬

                           佐藤さよ子

左馬
語は「卯の花」で夏。陰暦四月を「卯月」と呼ぶのは、この花に由来する。庭木か生け垣にか、今年も卯の花が咲きはじめた。豪奢な花ではないので、作者のつつましやかな家のたずまいが浮かんでくる。どんな場面かは想像するしかないけれど、たとえば、玄関をガラッと開けたときに、明るい五月の日差しのなかの白い花を見たのではあるまいか。陽光は玄関先にも射し込んできて、飾ってある「左馬(ひだりうま)」をまぶしく照らし出した。長い間飾ってあるので、日頃はさして気にもとめないのだが、このときはあらためて見入る気持ちになったのだろう。左馬は、将棋の駒に「馬」の文字を鏡文字のように左右逆にして書く。由来には、諸説がある。「うま」の逆は「まう」なので「舞う」に通じ、舞いは祝いの席に欠かせないから縁結びの駒。下方の形が巾着に似ているので、お金を呼び込む駒など。いずれにしても縁起物で、父親は駒作りの職人(書き師)だったのだろう。商売とはべつに、娘のために精魂込めて描いてくれた逸品なのだ。飾っておいたからといって、とりたてて家運隆盛ということもなかったが、可もなく不可もなく、こうやって暮らしていけることが、父親が飾り駒に込めたいちばんの願いだったのではあるまいか。元気だった父親のことがしみじみと思い出され、いまにも卯の花の向こうからひょっこり顔をのぞかせそうな……。写真は、天童市観光物産協会のページから拝借。「俳句」(2002年5月号)所載。(清水哲男)




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