Macの中身を掃除すべく、そのためのツールを購入。でも、操作が厄介でモタモタの日々。




2002ソスN5ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1552002

 夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟

                           橋本多佳子

語は「青葉木菟(あおばずく)」で夏。野山に青葉が繁るころ、インドなど南の国から渡ってくるフクロウ科の鳥。夜間、ホーホー、ホーホーと二声で鳴く。都市近郊にも生息するので、どなたにも鳴き声はおなじみだろう。「夫(つま)」に先立たれた一人居の夜に淋しさが募り、亡き人を恋しく思い出していると、どこからか青葉木菟の鳴き声が聞こえてきた。その声は、さながら「死ねよ」と言っているように聞こえる。死ねば会えるのだ、と。青葉木菟の独特の声が、作者の寂寥感を一気に深めている。一読、惻隠の情止みがたし……。かと思うと、同じ青葉木菟の鳴き声でも、こんなふうに聞いた人もいる。「青葉木菟おのれ恃めと夜の高処」(文挟夫佐恵)。「恃め」は「たのめ」、「高処」は「たかど」。ともすればくじけそうになる弱き心を、この句では青葉木菟が激励してくれていると聞こえている。自分を信じて前進あるのみですぞ、と。すなわち、掲句とは正反対に聞こえている。またこれら二句の心情の中間くらいにあるのが、「病むも独り癒ゆるも独り青葉木菟」(中嶋秀子)だ。夜鳴く鳥ゆえに人の孤独感と結びつくわけだが、受け止め方にはかくのごとくにバリエーションがある。ちなみに青葉木菟が季語として使用されはじめたのは、昭和初期からだという。近代的な憂愁の心情に、よく呼応する鳴き声だからだろうか。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 1452002

 征矢ならで草矢ささりし国家かな

                           小川双々子

語は「草矢(くさや)」で夏。蘆などの葉を裂いて、指にはさんで矢のように飛ばす。退屈しのぎに「草矢うつ正倉院の巡査かな」(鳥居ひろし)などと。掲句は、さながら現代日本の政情を風刺しているかのようだ。「征矢(そや)」は実際の戦闘に用いられる矢のことだが、遊び事の草矢が何かにささることは、まずありえない。が、我らが「国家」には簡単にささってしまうのだ。ああ、何をか言わんや、ではないか。今回の中国領事館の出来事にしても然り。目の前で不可侵権を侵害されても、ただぼおっと立っているだけ。これぞ、絵に描いたような「有事」だというのに。私だったら、かなわぬまでも大声をあげ警官を押し戻そうとしただろう。事の是非を考えるよりも、とにかく身体がそのように反応しただろう。そうすれば、警官は十中八九は退いたはずだ。彼らはみな、その程度のトレーニングは受けている。かつての安保全学連で習得した一つのことは、理念の肉体化物質化だった。ただ見ていただけの外交官には、権利を防衛する意識がまったく肉体化されていない。自分が、国家の最前線に位置している自覚すらない。「同意」はしなくとも「拒絶」もしなかった。だから、たかが草矢ごときにさされてしまうのだ。外交官が武闘派である必要はまったくないが、呆然と眺めている必要もまったくない。トレーニングが足らねえなあと、テレビ映像を見て舌打ちしたことであった。そして、征矢ならばともかく草矢がささるはずなどあるものか、ささったのであれば自分でさしたのだというのが、現段階での中国側の認識である。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


May 1352002

 陽はありき十九の夏の小石川

                           佐藤鬼房

譜を見ると、作者は十九歳のとき(1938年・昭和十三年)に東京・小石川植物園の裏手に移り住み、日本電気本社の臨時工として働いた。いまでも当時の名残なのだろうか、小石川から飯田橋にかけての一帯には小さな町工場があちこちにある。青春追懐句。六十代の句と思われる。一見、リリカルな美しさを帯びた句と読めるが、なかなかに苦い味わい。四季を通じて、もっとも「陽」があって当たり前なのは「夏」なのだから、その季節に寄せてあえて「陽はありき」と詠んだところに、作者の苦しかった若き日がしのばれる。おそらくは物理的にも「陽」のあたらない下宿暮らしであり工場勤務だったのだろうし、精神的にも前途への「陽」はさして見えていなかったということだろう。しかしいま省みて思うに、物心両面での苦しさはあったけれど、そこには「十九」という若さゆえの「陽」が確かにあったのだと、しみじみと思い出している。屈折してはいるが、おのれの若き日、若き生命への賛歌だと受け取っておきたい。この句を読んで、自然に自分の十九歳のころに意識が動き、真っ暗な大学受験浪人生だったことを思い出し、しかし私にもそれなりの「陽」はあったのだと追懐した次第。ヘルマン・ヘッセじゃないけれど、はるか彼方に過ぎ去ってみて初めて「青春は美し(うるわし)」なのでした。『何處へ』(1984)所収。(清水哲男)




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