三文判を無くした。無くなってみると、まだまだハンコを使う機会が多いのには吃驚。




2002ソスN5ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1652002

 朝焼の雲海尾根を溢れ落つ

                           石橋辰之助

語は「朝焼(あさやけ)」で夏。高山から眺められる壮麗な山岳美の世界だ。朝焼けに染まった雲が海のようにひろがり溢れて、尾根を越えて落ちてゆく。太陽がのぼるにつれて、雲海の色も刻々と変化している。「溢れ落つ」の措辞が、なんとも力強い。久しく、こんな世界を忘れていた。学生時代に、級友と夜を徹して富士山に登ったときのことを思い出した。飛行機など乗ったことがなかったので、雲の上に出るなんてはじめてだったから、感動するよりも前に、感心した。物の本で読んだように、間近に見る雲は、たしかにめまぐるしく変化し、思いがけないほどの早さで落下していくのだった。しばらくして、詩の下書き用のノートに書きつけた。「落下する雲の早さで、どんどん歳が取れる朝よ来い」だなんて、若かったなあ。お恥ずかしい。掲句ほどのスケールは出せなかったにしても、ひねくれ根性を捨てて、もう少しストレートに歌えなかったものか。せっかくの山岳美を、矮小化するにもホドがあろうというものだ。「二度登る馬鹿」といわれる富士山に、二度目に登ったのは三十代も後半で、五合目で宿泊したにもかかわらず、もはやかつての山の子の健脚も錆びついており、朝焼けには間に合わなかった。ちっちやな子どもにもどんどん追い抜かれ、これではもう「三度と」登ることはないなとあえぎつつ、山岳美もへったくれもないのであった。『俳句の本』(2000・朝日出版社)所載。(清水哲男)


May 1552002

 夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟

                           橋本多佳子

語は「青葉木菟(あおばずく)」で夏。野山に青葉が繁るころ、インドなど南の国から渡ってくるフクロウ科の鳥。夜間、ホーホー、ホーホーと二声で鳴く。都市近郊にも生息するので、どなたにも鳴き声はおなじみだろう。「夫(つま)」に先立たれた一人居の夜に淋しさが募り、亡き人を恋しく思い出していると、どこからか青葉木菟の鳴き声が聞こえてきた。その声は、さながら「死ねよ」と言っているように聞こえる。死ねば会えるのだ、と。青葉木菟の独特の声が、作者の寂寥感を一気に深めている。一読、惻隠の情止みがたし……。かと思うと、同じ青葉木菟の鳴き声でも、こんなふうに聞いた人もいる。「青葉木菟おのれ恃めと夜の高処」(文挟夫佐恵)。「恃め」は「たのめ」、「高処」は「たかど」。ともすればくじけそうになる弱き心を、この句では青葉木菟が激励してくれていると聞こえている。自分を信じて前進あるのみですぞ、と。すなわち、掲句とは正反対に聞こえている。またこれら二句の心情の中間くらいにあるのが、「病むも独り癒ゆるも独り青葉木菟」(中嶋秀子)だ。夜鳴く鳥ゆえに人の孤独感と結びつくわけだが、受け止め方にはかくのごとくにバリエーションがある。ちなみに青葉木菟が季語として使用されはじめたのは、昭和初期からだという。近代的な憂愁の心情に、よく呼応する鳴き声だからだろうか。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


May 1452002

 征矢ならで草矢ささりし国家かな

                           小川双々子

語は「草矢(くさや)」で夏。蘆などの葉を裂いて、指にはさんで矢のように飛ばす。退屈しのぎに「草矢うつ正倉院の巡査かな」(鳥居ひろし)などと。掲句は、さながら現代日本の政情を風刺しているかのようだ。「征矢(そや)」は実際の戦闘に用いられる矢のことだが、遊び事の草矢が何かにささることは、まずありえない。が、我らが「国家」には簡単にささってしまうのだ。ああ、何をか言わんや、ではないか。今回の中国領事館の出来事にしても然り。目の前で不可侵権を侵害されても、ただぼおっと立っているだけ。これぞ、絵に描いたような「有事」だというのに。私だったら、かなわぬまでも大声をあげ警官を押し戻そうとしただろう。事の是非を考えるよりも、とにかく身体がそのように反応しただろう。そうすれば、警官は十中八九は退いたはずだ。彼らはみな、その程度のトレーニングは受けている。かつての安保全学連で習得した一つのことは、理念の肉体化物質化だった。ただ見ていただけの外交官には、権利を防衛する意識がまったく肉体化されていない。自分が、国家の最前線に位置している自覚すらない。「同意」はしなくとも「拒絶」もしなかった。だから、たかが草矢ごときにさされてしまうのだ。外交官が武闘派である必要はまったくないが、呆然と眺めている必要もまったくない。トレーニングが足らねえなあと、テレビ映像を見て舌打ちしたことであった。そして、征矢ならばともかく草矢がささるはずなどあるものか、ささったのであれば自分でさしたのだというのが、現段階での中国側の認識である。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)




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