IWC総会の行方や如何にと固唾を呑む思い。鯨と馬鈴薯で命をつないでいた時期がある。




2002ソスN5ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2252002

 芍薬や枕の下の金減りゆく

                           石田波郷

語は「芍薬(しゃくやく)」で夏。花の姿は牡丹(ぼたん)に似ているが、芍薬は草で、牡丹は木だ。牡丹が散りだすと、芍薬が咲きはじめる。療養中の句だろう。病室から見える庭に芍薬が咲いているのか、あるいは見舞客が切り花で持ってきてくれたのか。「立てば芍薬」の讃め言葉どおりに、すっと背筋を伸ばした芍薬が咲き誇っている。対するに作者は横臥しているので、この構図からだけでも、病む人のやりきれなさが浮き上がってくる。さらに加えて、「金(かね)」の心配だ。長期入院の患者は、売店で身の回りのものを買ったりするために、いくばくかの現金を安全な「枕の下」にしまっておくのだろう。その金も底をついてきた。補充しようにも、アテなどはない。そんな不安のなかでの芍薬の伸びやかに直立している様子は、ますます病気であるゆえのもどかしさ、哀れさを助長するのである。枕の下の金で、思い出した。晩年はほとんど自室で寝たきりだった祖母が亡くなった後、布団を片づけたところ、枕の下から手の切れるような紙幣がごそっと出てきたそうだ。紙幣はすべて、何十年か以前に発券された昔のものばかりであったという。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


May 2152002

 わが死後の乗換駅の潦

                           鈴木六林男

季句。「潦(にわたずみ)」は、雨が降ったりして地上にたまった水。または、あふれ流れる水。水たまりのこと。季語ではないが、これからの長雨の季節を思わせる。郊外の駅だろう。通勤の途次、乗り換えの電車を待っている。構内のあちこちに、水たまりができている。すでに見慣れた光景でしかない。いつも、同じところにできる同じ形の水たまり……。普段は何気なく見過ごしているというか、さして気にも止めない変哲もない水たまりだけれど、ふと「わが死後」にもここに同じように変哲もなくありつづけるのだろうと思った。そんな思いにかられると、何の変哲もない潦がにわかに生気を帯びて新鮮なそれに見えてくる。あらためて、まじまじと見つめててしまうのだ。たとえばこれが山河に対してだったら、誰しもが自分の死後にもありつづけるのは当たり前だと感じるけれど、作者は生成消滅を繰り返す水たまりにこそ「永遠」を感じている。ここが句のポイントで、悠久の時間の流れのなかで考えれば、つまりは山河であれ何であれ、自然は水たまりのように生成消滅を繰り返すのが当たり前なのだ。ただ水たまりのほうが、人間の時間の間尺に基準を合わせると、わかりやすく短時間で生まれたり消えたりしているに過ぎない。この認識から、何を思うかは読者の自由。ルーティン化した通勤時間にも、ふと日常感覚から外れた何かを感じたり発見している人はたくさんいるだろう。『鈴木六林男句集』(2002・芸林書房)所収。(清水哲男)


May 2052002

 全身の色揚げ了り蛇の衣

                           アーサー・ビナード

語は「蛇の衣(へびのきぬ)」で夏。蛇の抜け殻のこと。この季節に蛇は数回脱皮し、そのたびに体が大きくなる。「つゆぐさの露を透かして蛇の衣」(石原舟月)。掲句は、一昨日の余白句会で高点を得た(兼題は「色」)。田舎での私の少年時代に、抜け殻は草の中や垣根などあちこちで散見されたが、脱皮する様子そのものを見たことはない。作者もおそらくはそうなのであって、残された抜け殻からの想像だろう。この想像力は素晴らしい。蛇にしてみれば、成長過程における単なる一ステップにすぎないとしても、その際には全身全霊のエネルギーを極限まで使いきっての行為だろうと想像したわけだ。兼題にそくしてそのことを視覚的に述べると、「色揚げ了り」となる。まったき新しい体色を全力で完成させて、ぬるぬると殻を脱いでいった蛇の様子が、目に見えるようではないか。生命賛歌であると同時に、脱皮した後の蛇の運命をちらりと気にさせるところもあり、なかなかに味わい深い。作者のアーサー・ビナード(Arthur Binard)は、1967年アメリカミシガン州生まれ。二十歳の頃ヨーロッパへ渡り、ミラノでイタリア語を習得。90年、コルゲート大学英米文学部を卒業。卒論の際、漢字に出会い、魅惑されて来日。日本語での詩作翻訳を始め、詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受賞。どういうわけで余白句会に参加したのかは、私には不明だが、とにかく並の日本人以上に日本語ができる。余白句会では「日本語のことなら、漢字でも何でもアーサーに聞け」というくらいだ。いつどこでどうやって、それこそ彼は「脱皮」したのか。自転車好きにつき、俳号は「ペダル」。(清水哲男)




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