数日前に、近所で紫陽花が咲いたと聞いた。明日は休めるから、見に行ってみようかな。




2002ソスN5ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2452002

 子探しの声の遠ゆくかたつむり

                           上田五千石

語は「かたつむり(蝸牛)」で夏。夕暮れ近く、遊びに出かけたまま、なかなか戻ってこない子供を母親が探している。どこのお宅に入りこんで遊んでいるのか。心当たりの方向に「○○ちゃーん、ゴハンですよー」と声をかけて歩いている。その声も、だんだん遠ざかっていく。「遠ゆく」という言葉は初見だが、意味はこれでよいだろう。作者の造語だろうか。あるいは、どこかの方言かもしれない。開け放った作者の窓辺には、我関せず焉といった風情で「かたつむり」がじっと眠っている。母親の「子探し」といってもこの時間には毎度のことだから、何も心配するほどのことでもない。そんな「世はすべて事もなし」の好日感を、さらっとスケッチした句だ。強いて理屈をこねれば、かたつむりはいつも家を背負って歩いているので、子探しをすることもないから、人間よりもよほど気楽。比べて、人間の暮らしはあれこれと厄介なことが多い。ここらあたりのことを対比していると読めないこともないけれど、私はさらっと読んでおく。そのほうが、夏の夕暮れの情景を気持ちよく受け止められる。最近では、こうした情景も見られなくなってしまった。表から大声で呼んでも聞こえない構造の家が増えてきたし、電話も普及している。それに第一、当の子供が遊んで歩かなくなってしまったからだ。掲句は、いまから三十年ほど前に詠まれたもの。『森林』(1978)所収。(清水哲男)


May 2352002

 明易き絶滅鳥類図鑑かな

                           矢島渚男

オオウミガラス
語は「明易し(あけやすし)」で夏。これから夏至にむかって、どんどん夜明けが早くなっていく。伴って、鳥たちの目覚めも早く、住宅街のわが家の周辺でも、最近では五時前くらいから鳴くようになった。カラスがいちばん早く、あとから名前も知らない鳥たちが鳴き交わすので、鳴き声に起こされることもある。作者は、長野県丸子町在住。私などのところよりも、よほど多くの鳴き声が聞こえるだろう。さて、そんな鳥たちに早起きさせられた作者は『絶滅鳥類図鑑』を見ているのだが、鳥の鳴き声を聞いたので図鑑を手にしたわけではないだろう。むしろ、昨夜寝る前にめくっていた図鑑が、そのまま机上に残されていたと解釈しておきたい。就寝前に、絶滅した鳥たちの運命に思いをめぐらした余韻がまだ残っているなかで、現実に生きている鳥たちの元気な鳴き声と出会い、複雑な感慨にとらわれているのだ。あらためて図鑑の表紙を凝視している作者には、昨夜はむしろ絶滅した鳥たちのほうが近しかった。それが寝覚めの半覚醒状態のなかで、徐々に現実に引き戻されていく過程を書いた句だと読める。引用した図は、19世紀イギリスの剥製師ジョン・グールドが描いた「オオウミガラス」。北大西洋に住んでいた海鳥だが、人間が食べ尽くして絶滅したという。『梟のうた』(1995・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


May 2252002

 芍薬や枕の下の金減りゆく

                           石田波郷

語は「芍薬(しゃくやく)」で夏。花の姿は牡丹(ぼたん)に似ているが、芍薬は草で、牡丹は木だ。牡丹が散りだすと、芍薬が咲きはじめる。療養中の句だろう。病室から見える庭に芍薬が咲いているのか、あるいは見舞客が切り花で持ってきてくれたのか。「立てば芍薬」の讃め言葉どおりに、すっと背筋を伸ばした芍薬が咲き誇っている。対するに作者は横臥しているので、この構図からだけでも、病む人のやりきれなさが浮き上がってくる。さらに加えて、「金(かね)」の心配だ。長期入院の患者は、売店で身の回りのものを買ったりするために、いくばくかの現金を安全な「枕の下」にしまっておくのだろう。その金も底をついてきた。補充しようにも、アテなどはない。そんな不安のなかでの芍薬の伸びやかに直立している様子は、ますます病気であるゆえのもどかしさ、哀れさを助長するのである。枕の下の金で、思い出した。晩年はほとんど自室で寝たきりだった祖母が亡くなった後、布団を片づけたところ、枕の下から手の切れるような紙幣がごそっと出てきたそうだ。紙幣はすべて、何十年か以前に発券された昔のものばかりであったという。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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