マンション大修繕も詰めの段階。あちこち細かい部分の塗装。ペンキの臭いで頭が痛い。




2002ソスN5ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2952002

 集金は残り一軒雨蛙

                           納谷一光

語は「雨蛙(あまがえる)」で夏。あたりに雨の気配が漂ってくると、よく通る声で鳴く習性を持つことからの命名。外で仕事をする人にとっては、頼もしくも天才的な雨の予報官だ。彼らが鳴きはじめると、濡らしてはいけない道具類をまずは緊急退避させたりする。さて、掲句の作者は傘を持っていないので、雨蛙が鳴きはじめたとなると、気が気ではない。空を見上げれば、さきほどまでの青空はすっかり姿を消してしまい、まもなくザァーッと降ってきそうだ。さあ、どうしたものか。雨蛙が鳴くくらいだから、繁華な都会の道ではないだろう。自分自身を緊急退避させなければと思うと同時に、しかし仕事は「残り一軒」でめでたく終わるのだ。どうしようか。もう一度考えて、「ええい、ままよ」と「集金」を優先させることにした。急に足早に歩きはじめた作者の周囲では、ますます雨蛙の鳴き声が繁くなってくる……。そんな印象を受けた。これが「残り三軒」ならば、誰が悪いわけじゃなし、あきらめて引き返すところだろうに、あと「一軒」だからかなりの無理をしてしまう。仕事には、そういった側面がありますね。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


May 2852002

 来て立ちて汗しづまりぬ画の女

                           深見けん二

語は「汗」で夏。「画の女」を、最初は、自分がモデルになった画の出展されている展覧会を見に来た女性かなと思ったのだが、そうすると「来て立ちて」の「立ちて」が不自然だ。あらためて、当たり前の立ち姿を紹介する必要はないからである。そうではなくて、美術教室のモデルとして来た女性だろう。定刻ギリギリにやって来て、一息つく時間もなく、ハンカチで汗を押さえるようにしながら、そのまま描き手の前に立った。そして、早速ポーズを決めるや、すうっと汗が「しずま」ったというのである。役者などでもそうだが、本番で汗をかくような者は失格だ。このモデルも、さすがにプロならではの自覚と緊張感とをそなえていたわけで、作者は大いに感心している。モデルがぴしっとすれば、教室全体に心地よい緊張感がみなぎってくる……。モデルを前にして画を描いたことはないけれど、モデルはたとえば音楽のコンダクター的な役割を担う存在なのではあるまいか。少しでも気を抜けば、たちまち描き手に伝染してしまうのだろう。しかるがゆえに、モデルの価値は容貌容姿などにはさして依存していない。価値は、描きやすい雰囲気をリードできるかどうかにかかっているのだと思う。画を描かれるみなさま、いかがでしょうか。『星辰』(1982)所収。(清水哲男)


May 2752002

 麦秋や江戸へ江戸へと象を曳き

                           高山れおな

象
語は「麦秋(ばくしゅう)」で夏。見渡すかぎりに黄色く稔った麥畑のなかを、こともあろうに象を歩かせるという発想がユニークで愉快だ。どんなふうに見えるのだろう。なんだかワクワクする。が、掲句は、空想句ではなく史実にもとづいた想像句だ。実際に、江戸期にこういう情景があった。以下は、長崎県の「長崎文化百選」よりの引用。「(象が)はっきり初渡来として歓迎されたのは、亨保十三年(1728年)将軍吉宗の時代に長崎に渡来したときである(松浦直治)という。 六月七日にオランダ船で長崎に着いた象は、雄と雌の二頭。雌の一頭は病気で死んだが。残った七歳の雄は将軍吉宗に献上のため翌十四年三月十六日長崎を出発。十四人の飼育係に交代で見守られながら、江戸まで三百里(約1200km)をノッシノッシと行進する。南蛮渡来のこの珍獣を一目見ようと、沿道は大変な騒ぎ。ずっと後世のパンダブームのような大フィーバーである。なにしろ巨体だから、橋も補強しなければならない。大井川はイカダを組んで渡す、といったありさま。そのころはもう江戸では象の写生図が早打ち飛脚で到着して一枚絵に刷られ、象の記事の載ったかわら版は、いくら刷っても売り切れ『馴象編』『象志』など象百科のような出版物は十数種に上ったという。 五月二十五日に江戸に着いた象は、浜御殿の象舎に入った。翌々日江戸城へ引き入れられ、吉宗は諸大名とともに象を見物した」。しかしこの象は、やがて栄養失調でやせ細り死んでしまったという。あまりの大食ぶりに、さすがの江戸幕府も持て余したようだ。図版は長崎古版画(長崎美術館蔵)より。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)




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