この国のサッカー人気はどれほどのものなのだろう。間もなくわかる。私は悲観的だが。




2002ソスN5ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 3052002

 香水や優柔不断盾として

                           佐藤博美

語は「香水」で夏。身だしなみを整え、これから外出するところ。でも、心弾む外出ではない。先方では難題が待ち受けていて、何らかの態度を決めなければならないのだ。どう応接すべきか。いくら思案しても、どうしたらよいのか結論が出ない。決めかねたままに、外出の時間が迫ってきた。で、仕上げの香をしのばせながら思い決めたのが「優柔不断」……。今日のところはこれを「盾(たて)」として、結論をもう少し先延ばしにするしかないだろう、と。男であれば、さしずめネクタイを締めながら心を決める場面だ。言われてみれば、優柔不断もたしかに堅牢な盾となる。香水の句で有名なのは、中村草田男の「香水の香ぞ鉄壁をなせりける」だ。この「鉄壁」の本質が、実は女性の優柔不断だったらどうだろうと思うと、草田男の生真面目さに切なさと可笑しさが同時にこみあげてくる。ところで、この句を読んであらためて気がついたのは、私は外出寸前に態度を決めることが多いということだった。難題に対してばかりではなく、気ままな遊びでのコース選びについても同様だ。目的地までのバスや電車のなかでは、なかなか考えがまとまらない。というよりも、ほとんど思考停止の状態になってしまう。変更する時間の余裕はたっぷりあっても、結局は家で決めた通りの道筋をたどることになる。すなわち、家から持ちだした盾を後生大事に抱えてしか歩けないというわけだ。なんでしょうかねえ、これって。『私』(1997)所収。(清水哲男)


May 2952002

 集金は残り一軒雨蛙

                           納谷一光

語は「雨蛙(あまがえる)」で夏。あたりに雨の気配が漂ってくると、よく通る声で鳴く習性を持つことからの命名。外で仕事をする人にとっては、頼もしくも天才的な雨の予報官だ。彼らが鳴きはじめると、濡らしてはいけない道具類をまずは緊急退避させたりする。さて、掲句の作者は傘を持っていないので、雨蛙が鳴きはじめたとなると、気が気ではない。空を見上げれば、さきほどまでの青空はすっかり姿を消してしまい、まもなくザァーッと降ってきそうだ。さあ、どうしたものか。雨蛙が鳴くくらいだから、繁華な都会の道ではないだろう。自分自身を緊急退避させなければと思うと同時に、しかし仕事は「残り一軒」でめでたく終わるのだ。どうしようか。もう一度考えて、「ええい、ままよ」と「集金」を優先させることにした。急に足早に歩きはじめた作者の周囲では、ますます雨蛙の鳴き声が繁くなってくる……。そんな印象を受けた。これが「残り三軒」ならば、誰が悪いわけじゃなし、あきらめて引き返すところだろうに、あと「一軒」だからかなりの無理をしてしまう。仕事には、そういった側面がありますね。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


May 2852002

 来て立ちて汗しづまりぬ画の女

                           深見けん二

語は「汗」で夏。「画の女」を、最初は、自分がモデルになった画の出展されている展覧会を見に来た女性かなと思ったのだが、そうすると「来て立ちて」の「立ちて」が不自然だ。あらためて、当たり前の立ち姿を紹介する必要はないからである。そうではなくて、美術教室のモデルとして来た女性だろう。定刻ギリギリにやって来て、一息つく時間もなく、ハンカチで汗を押さえるようにしながら、そのまま描き手の前に立った。そして、早速ポーズを決めるや、すうっと汗が「しずま」ったというのである。役者などでもそうだが、本番で汗をかくような者は失格だ。このモデルも、さすがにプロならではの自覚と緊張感とをそなえていたわけで、作者は大いに感心している。モデルがぴしっとすれば、教室全体に心地よい緊張感がみなぎってくる……。モデルを前にして画を描いたことはないけれど、モデルはたとえば音楽のコンダクター的な役割を担う存在なのではあるまいか。少しでも気を抜けば、たちまち描き手に伝染してしまうのだろう。しかるがゆえに、モデルの価値は容貌容姿などにはさして依存していない。価値は、描きやすい雰囲気をリードできるかどうかにかかっているのだと思う。画を描かれるみなさま、いかがでしょうか。『星辰』(1982)所収。(清水哲男)




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