あのお、電話線を勝手に細工してよいのはどのあたりからですか。法規読むのが面倒で。




2002ソスN6ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0262002

 夏蓬ふぁうる・ふらいを兄が追い

                           中烏健二

語は「夏蓬(なつよもぎ)」。蓬餅にするころの蓬はやわらかくて可愛げがあるが、成長した蓬には荒々しい感じすら受ける。夏には丈が一メートルほどにも伸びるものがあり、引っこ抜こうにも根が頑強で始末におえない。「さながらに河原蓬は木となりぬ」(中村草田男)。となれば、句の情景は典型的な草野球だ。ここで、注目すべきは「ファウル・フライ」ではなく「ふぁうる・ふらい」の平仮名表記。夏蓬に足を取られてたどたどしく追いかける「兄」の姿を、直接的にではなく間接的に見事に表現しえている。フライそのものもひょろひょろっと上がったのだろうが、兄の様子もひょろひょろしていて心もとない。たしかに夏蓬は群生しており、兄の頼りなさも多くそのせいではあるのだが、なんだか兄のとても弱くて脆い面、見てはいけない姿を見てしまったような気分なのだ。整備されたグラウンドでは、いかにひょろひょろしようとも、平仮名表記にはならないだろう。そんな頼りない兄の姿は、まず日頃の生活ではお目にかかれない。他人であれば句にならない場面を、こうして書き留める作者には、おそらく近親憎悪の心も働いているのではあるまいか。すらっと読めばほほ笑ましいようなシーンだけれど、私にはこんなふうに思えてならない。草野球にも、さまざまな心理の綾が飛び交っている。『愛のフランケンシュタイン』(1989)所収。(清水哲男)


June 0162002

 モンローの忘れ睫の美女柳

                           杉本京子

美女柳
語は「美女柳(びじょやなぎ)」で夏。正式名は「未央柳(びようやなぎ)」だが、転じて「美容柳」となり、また転じて「美女柳」となった。我が家の近所にもあって、黄色い花を枝先に開き、たくさんの雄しべが花弁の外に金糸の穂のように伸びている姿が美しい。その金糸の穂を指して、作者は「(マリリン・)モンロー」の「睫(まつげ)」に見立てている。「忘れ睫」は造語だろうが、たとえば「忘れ花」「忘れ霜」と同じ用法。忘れていたものが蘇ってきたということで、美女柳を見てモンローが蘇ってきたというわけだ。言われてみれば、なるほどね。少しカールのかかった雄しべの様子は、女性の長い睫のように見えてくる。それも、付け睫でしょう。こんな派手というか豪奢な付け睫が似合うのは、いろいろな女優を思い浮かべてみても、モンロー以外にはいないような気がする。身体のすべての造作が派手で、目立つ人だった。なお、今日6月1日は彼女の誕生日。それにしても、美女柳からモンローの睫を連想する想像力は、女性ならでは……。男だと、とてもモンローの睫にまでは思いがいたらない。女性が同性を意識して見る所と、男が異性を見る所とではかなり違うようだ。日常的に化粧をする性と化粧しない性との差異は、こんなところにもひょっこり顔を出してくる。面白いものです。私がはじめてモンロー映画を見たのは、忘れもしない「福生セントラル」での『ナイアガラ』だった。例のモンロー・ウォークに圧倒されて、とてもじゃないが睫までは意識が届くどころではなかった。いま見ても……きっとそうでしょう。写真は、鈴木志郎康さん撮影(1998年6月8日付「曲腰徒歩新聞」)。『赤富士』(2002)所収。(清水哲男)


May 3152002

 雷落ちて八十年を顧る

                           後藤夜半

語は「雷(らい)」。日本海側では冬にも多いが、全国的には夏に最も多いことから、夏季としている。句は、落雷後の束の間に働いた心の動きをそのまま述べている。よほど近くに落ちたのだろう。有無を言わせぬ雷鳴と轟音で、その後しばらくの間は、頭のなかが真っ白になった感じがする。助かってよかっただとか、どこに落ちたのだろうなどと思う以前に、限りなく一瞬に近い束の間の空白が生じる。その空白のなかで、作者は「八十年を顧(かえり)」みたと言う。むろん、束の間のことだから、長く生きてきた人生のあれこれのことを具体的に回想できたわけではない。瞬間、何かがさあっと頭のなかを通り過ぎていった。それが自分の歴史からは抜き難いエッセンスだったような気がして、「八十年を顧る」と書き留めたのである。したがって、掲句には顧みた感慨は何も含まれていない。「夢のごとし」のような諦観もない。ただ、自然に心がそう働いたことへの不思議な充実感を述べている。人は死ぬときに、一生のことを走馬灯のように思い出すものだとは、よく聞く話だ。死んだことがないのでわからないけれど、死に際の回想も、もしかすると句のような性質のものかもしれない。と、これはついでに思えたことである。遺句集『底紅』(1978)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます