June 032002
短夜や拗ねし女に投げし匙中村哮夫季語は「短夜」で夏。作者はミュージカルの演出家だから、稽古の情景だろう。厳しい注文を付けているうちに、女優が臍を曲げてしまった。女性が「拗(す)ね」ると、たいていは黙りこくってしまい、手に負えなくなる。なだめすかしてみても、だんまりを決め込んで、テコでも動かない。幕を開ける日まであとわずかしかないというのにと、作者は苛々している。ましてや、夜も短い。いたずらに無駄な時間が過ぎてゆくばかり。そこで、ついに「投げし匙(さじ)」となった。どうとも勝手にしろ。怒りが爆発した。その場に「匙」があったら、本当にぶつけかねないほどの苛立ちだ。といっても、むろん即吟であるはずはなく、そういうこともありきと懐かしく回想しているので、中身に救いがある。それにしても、この匙は奇妙なほどに生々しい。たぶん、それは私が男だからだろう。思い当たる匙の一本だからである。稽古中に物を投げるといえば、若き日の(今でも、かな)蜷川幸雄の灰皿投げが有名だ。本当に投げたのかと、ご当人に聞いてみたことがある。「野球で鍛えたからね、コントロールには自信があった」。つまり、投げたのは事実だが、ちゃんと正確に的を外して投げたということ。口直しに(笑)、同じ作者の上機嫌な句を。「夏空やいでたち白き松たか子」。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男) June 022002 夏蓬ふぁうる・ふらいを兄が追い中烏健二季語は「夏蓬(なつよもぎ)」。蓬餅にするころの蓬はやわらかくて可愛げがあるが、成長した蓬には荒々しい感じすら受ける。夏には丈が一メートルほどにも伸びるものがあり、引っこ抜こうにも根が頑強で始末におえない。「さながらに河原蓬は木となりぬ」(中村草田男)。となれば、句の情景は典型的な草野球だ。ここで、注目すべきは「ファウル・フライ」ではなく「ふぁうる・ふらい」の平仮名表記。夏蓬に足を取られてたどたどしく追いかける「兄」の姿を、直接的にではなく間接的に見事に表現しえている。フライそのものもひょろひょろっと上がったのだろうが、兄の様子もひょろひょろしていて心もとない。たしかに夏蓬は群生しており、兄の頼りなさも多くそのせいではあるのだが、なんだか兄のとても弱くて脆い面、見てはいけない姿を見てしまったような気分なのだ。整備されたグラウンドでは、いかにひょろひょろしようとも、平仮名表記にはならないだろう。そんな頼りない兄の姿は、まず日頃の生活ではお目にかかれない。他人であれば句にならない場面を、こうして書き留める作者には、おそらく近親憎悪の心も働いているのではあるまいか。すらっと読めばほほ笑ましいようなシーンだけれど、私にはこんなふうに思えてならない。草野球にも、さまざまな心理の綾が飛び交っている。『愛のフランケンシュタイン』(1989)所収。(清水哲男) June 012002 モンローの忘れ睫の美女柳杉本京子季
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