June 052002
瞼閉じ荒き息する雀の子
宮田祥子
季語は「雀の子」で春。雀の卵は春から夏にかけて孵化するので、夏季としても差し支えあるまい。卵から独立して飛べるようになるまでに、二ヶ月弱はかかるというから、一茶の「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」などの姿は、むしろ夏の子雀のものである。少し大きくなってくると、子雀はよく跳ねて巣から落下する。句は、そんな子雀を拾っててのひらに乗せている図だと思う。私にも覚えがあるが、眺めていると可愛いというよりも、生命そのものの不思議を感じさせられてしまう。消え入りそうにちっぽけな体なのに、瞼をしっかりと閉じ、想像以上に荒い呼吸をしている。ちょうど、人の赤ん坊が高熱を発したときのような感じだ。生命の力強さが、ちっぽけな体いっぱいにふつふつと涌いている様子は不思議であると同時に、よくわからない何か尊いものに触れているような感じすら受ける。作者は見たままをそのままに詠んでいるだけだが、「瞼閉じ荒き息する」のそのままの描写は、生々しいがゆえに、読者の連想を単なるその場の情景から遠くに連れていく力を持っている。私はたまたま子雀を拾ったことがあるので、上記のように感じたわけだが、拾ったことのない読者の心のうちには、また別の生命への感慨が去来することだろう。そのまんま俳句、おそるべし。『福寿草』(2001)所収。(清水哲男)
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