アメリカでも(!)W杯は報道されているとasahi.comが報道するほどマイナーなんだね。




2002ソスN6ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2262002

 向日葵の月に遊ぶや漁師達

                           前田普羅

語は「向日葵」で夏。若き日に、大正初期の九十九里浜で詠んだ句。ここは昔からイワシ漁の盛んな土地で、明治以後、二隻の船が沖合いでイワシ網を巻く揚繰(あぐり)網が取り入れられたが、砂浜に漁船を出し入れするのに多大の人力を要した。集落をあげて船を押し出す仕事を「おっぺし」と言い、1950年代までつづいたという。老若男女、みんなが働いていた時代だった。そんな労働から解放されて、集落全体にやすらぎの時が戻ってきた月夜に、なお元気な「漁師達」が浜で遊んでいる。酒でも酌み交わしているのか。「向日葵の月」とは、月光に照らされた向日葵が、また小さな月そのものでもあるかのように見えているということだろう。この措辞によって、現実の世界が幻想的なそれに切り替わっている。加藤まさおが書いた童謡「月の砂漠」の発想を得たのも九十九里浜だったそうだが、見渡すかぎりの砂浜と海にかかる月は、さぞや見事であるにちがいない。月と向日葵と漁師達。その光と影が力強い抒情を生んで、詠む者の胸に焼き付けられる。少年期の普羅はしばしば九十九里浜に遊んでおり、愛着の深い土地であった。臨終の床で「月出でゝかくかく照らす月見草」と詠み、死んだ。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)


June 2162002

 自転車の少女把手より胡瓜立て

                           川崎展宏

語は「胡瓜(きゅうり)」で夏。「杭州五句」のうち、つまり中国旅行でのスケッチ句だ。自転車を走らせている少女が、片手に「把手(はしゅ)」(ハンドルの握り手)といっしょに胡瓜を一本「立て」て握っていた。噛りながら、走っているのだろう。ただそれだけのことながら、さっそうとして元気な異国の女の子の姿が浮かんでくる。句に、清々しい風が吹いている。そのまんま句の典型だけれど、よく撮れているスナップ写真と同じで、対象にピントがちゃんと合っているのだ。そのまんま句の難しさは、このピント合わせにある。ただ闇雲にそのまんまを詠んでも、ごたごたするばかり。失礼ながら、多くの旅行(とくに海外旅行)句のつまらなさは、季節感や生活感の違いなどということよりも、このごたごたに原因がある。あれもこれもと目移りがして、ピントがぼけてしまうのだ。詰め込みすぎるのである。人情としてはわかるけれど、句としてはわからなくなる。掲句のように、一見、なあんだと思われるくらいに焦点を絞り込むことが肝要だろう。偉そうに書いているが、たまに旅先で詠んだ拙作を読み返してみると、やはりほとんどが哀れにもごたついている。すなわち本日は、まっさきに自戒をこめての物言いなのでした。『観音』(1982)所収。(清水哲男)


June 2062002

 夏掛やつかひつくさぬ運の上

                           安東次男

語は「夏掛(なつがけ)」、涼しげに仕立てられた夏蒲団。軽くて見た目には涼しそうでも、暑い夜にきちんと蒲団を掛けて寝るのはやはり寝苦しい。子供の頃に「いくら暑くても、お腹だけは冷やさないように」と躾けられ、いまだに習慣となってはいるが、ときとして掛けたくなくなる。そんなときに、この句は呪文かまじないのように使える。掛けないと、まだ使い切っていない「運」が逃げていってしまうとなれば、腹をこわすよりもよほど大問題だ。そこでいくら暑くても、「ナツガケヤツカヒツクサヌウンノウエ」と唱えながら掛けると、なんとなく納得したような気分になれる。俳句が、実生活に役立つとは露知らなかった。とまあ、半分は冗談だけれど、作者にしても自己納得の方便として「つかひつくさぬ運」を持ちだしているのは明白だ。もしかすると、作者ゆかりの地には、こんな迷信が言い伝えられているのかもしれない。そもそも「つかひつくさぬ運」という考え方自体が、迷信に通じているからだ。そして、言い伝えられているとしたら、やはり子供の躾のためだろう。それを、作者は大人になっても守りつづけていたと思うと微笑を誘われる。大の大人になっても、誰にでもこうした一面はあるものだと、むろん作者は意識的に書いている。『流』(1996・ふらんす堂)所収。(清水哲男)




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