June 232002
人死して家毀たるる深みどり
河合照子
季語は「みどり(緑)」で夏。新緑の候を過ぎて、夏も盛りに近い「深みどり」。「毀たるる」は「こぼたるる」で、取り壊されるの意。この「毀たるる」という古い言葉が、実によく効いている。近所の独り住まいの人が亡くなって、残った家はどうなるのかと思っていたら、取り壊しの工事がはじまった。あの家も、これで見納めか。見に行くと、あっけないほど簡単に家が崩れていった。すべてが他力で「壊さるる」というよりも、「毀たるる」には、どこかに自壊していくようなニュアンスがある。もはやふんばりが効かなくなって、みずからが崩れ落ちていくといった感じだ。この古い言葉から、家それ自体の古さも想像できる。精気溢れる「深みどり」のなかに、半ば自壊しつつ崩れ落ちていく家の姿は、人の世のはかなさを具現していて、まことに切ない。人は死んだら何もかもお終い、なのである。私は編集者だったことがあるから、いろいろな執筆者の家を知っている。いま住んでいる三鷹市の近所で言えば、金子光晴や吉田一穂のお宅には何回となくうかがった。一度だけだが、歌人の宮柊二邸にも。なかで、亡くなるとすぐに「毀たれた」のが一穂さんの家。いまや、どこらへんにあったのかすらもわからないほどに、周辺の景観も変わってしまっている。「清水よ、ションベンなら、そこでしろ」と、『海の聖母』の詩人が指さしたあのちっぽけな庭も毀たれたのだ。「俳句研究年鑑・2001」所載。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|