NYで煙草一箱900円ほどに。人の嗜好を煽っておいてコレだ。悪徳企業とどこが違うか。




2002ソスN7ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0472002

 上野から見下す町のあつさ哉

                           正岡子規

まり暑くならないうちに、書いておこう。高浜虚子編『子規句集』明治二十六年(1893年)の項を見ると、「熱」に分類された句がずらり四十一句も並んでいる。病気などによる「熱」ではなく「暑さ」の意だ。体感的な暑さを読んだ句(「裸身の壁にひつゝくあつさ哉」)から精神的なもの(「昼時に酒しひらるゝあつさ哉」)まで、これだけ「熱」句をオンパレードされると、げんなりしてしまう。とても、真夏には読む気になれないだろう。「上野」はもちろん、西郷像の建つ東京の上野台だ。句が詠まれたときには、既に公園は完成しており動物園もあった。いささかの涼味を求めてか、上野のお山に登ってはみたものの、見下ろすと繁華な町からもわあっと熱風が吹き上がってくるではないか。こりゃあ、たまらん。憮然たる子規の顔が浮かんでくる。現代の上野にも、十分に通用する句である(今のほうが、もっと暑いだろうけれど)。他にも「熱さ哉八百八町家ばかり」とあって、とにかく家の密集しているところは、物理的にも精神的にも暑苦しい。ましてや、子規は病弱であった。「八百八町」の夏の暑さは、耐え難かったにちがいない。句集の「熱」句パレードは、「病中」と前書された次の句によって止められている。「猶熱し骨と皮とになりてさへ」。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(清水哲男)


July 0372002

 羅に透けるおもひを怖れをり

                           櫛原希伊子

語は「羅(うすもの)」で夏。絽(ろ)、紗(しゃ)など、絹の細い繊維で織られた単衣のこと。薄く、軽やか。女性ものが多い。作者自註、「たいした秘密でないにしても、知られたくないこともあるもの。透けるとしたら絽よりも紗の方があやうい気がする」。肌や身体の線が透けることにより、心の中までもが透けて見えてしまいそうだというこの感覚は、まず、男にはないものだろう。俳句を読んでいると、ときおりこうしたさりげない表現から、女性を強く感じさせられることがある。作者は別に自分が女であることを強調したつもりはないと思うが、男の読者は「はっ」とさせられてしまうのだ。逆に意識した例としては、たとえば「うすものといふをはがねの如く着て」(清水衣子)があげられる。薄いけれども「はがねの如く」鋭利なのだよと言うのだが、むしろこの句のほうに、作者の心の内がよく見て取れる面白さ。いずれにしても、女性でなければ発想できない世界だ。前述したように、本来「羅」は和装衣を指したが、最近では夏着一般に拡大して使うようになってきた。小沢信男に「うすものの下もうすもの六本木」がある。この女性たちに、掲句の味わいというよりも、発想そのものがわかるだろうか。私としては、問うを「怖れ」る。『櫛原希伊子集』(2000)所収。(清水哲男)


July 0272002

 夜へ継ぐ工場の炎や半夏雨

                           角川源義

語は「半夏雨(はんげあめ)」で夏。夏至から数えて十一日目(仏教的には夏安居の中日。すなわち本日)の「半夏生(はんげしょう)」に降る雨のこと。サトイモ科の半夏(烏柄杓の漢名)の花が咲くころなので、この名があると言われる。梅雨も末期にかかってくるこの時期には、大雨の降ることが多い。当然に農家は警戒しただろうし、農業人口の比率の多かった昔には、今日ではほとんどの人が知らない「半夏生」も、かなり一般的な言葉だったようだ。「半夏半作」という言葉もあって、この日までには田植えを終えたというから、農事上の一つの目安とされていた日だと知れる。掲句の素材は農事ではないけれど、こうしたことを思い合わせると、農作業に通じる地道な労働へのシンパシーが感じられる。何を作っている工場なのか。わからないが、おそらくは本降りであろう雨を透かして、見えている町工場の仕事の「炎」が目に鮮やかなのだ。「夜に継ぐ」だから、時はたそがれであり、なおさらに炎の色は濃い。そして、作者はこの炎が絶やされずに、夜の残業時間へと引き継がれていくことを思っている。「神聖な労働」と言ったりするが、この句には何かそうした価値観に通じる作者の真心が滲み出ていると感じられた。『合本俳句歳時記・新版』(1988)所載。(清水哲男)




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